牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

早川町の道祖神 #3

連休明け、ようやく早川町道祖神調査が完了した。山梨県・峡南地区(南部町・身延町早川町に限定)は、アクセスが困難(長距離・道が狭く、急)で手こずったが、かなりの数の道祖神にお逢いできた。

南アルプスを源流とする早川や雨畑川が刻んだ渓谷沿いや山間の小さな台地には、多くの集落が点在する。それぞれの集落の多くは孤立して、中には数軒の集落もある。熊・猪・鹿・猿などの野生動物の被害から守るために、集落の周囲を高いフェンスやゲートで囲っているところが多い。中には、廃屋だらけで、人の気配はまったくしない廃村もある。それでも犬は飼われていることもあり、残された畑に農家の方が通っているのかも知れない。アクセス道路は標高差のある細く曲がりくねった道を登ることになり、落枝や落石・土砂くずれなどで車があっても住みずらい場所だ。人がいない集落で、道祖神などの石造物に出逢うと、以前はお祭りなどもして、にぎやかだったことも想像される。

集落の名前はなじみのある地名ではなく、読みにくい。早川町のホームページに乗っていたので、(よみ)を記しておく。

道祖神

差越(さしこし)への細く急な坂道は、倒木と落石で、今までで一番厳しかった。落石手前に駐車して、徒歩でアプローチした。数軒の集落は小さいので、すぐに見つかった。集落の広場の東側に頭を出している大石を祭場にして、二基の石造物が祀られている。左像-南無日蓮大菩薩・右像-双体(両神-合掌)
夏秋(なつやけ)の集落の西の山裾に、石積みの祭場を設け、双体(両神-合掌)が祀られている。

初鹿島(はつかじま)の旧道・七面山登り口(?)近くに、コンクリの祭壇を設け、二基の石造物が祀られている。右像-文字碑[道祖神
榑坪(クレツボ)の公民館前に、コンクリで祭場を設け、三段の角石の上に自然石(元々は丸石が載っていたものが失われたのだろう)角石前面に、[道祖神]が刻まれている。

笹走に行こうとして、道が分からないので、諦めて引き返そうとしたら、千須和(せんずわ)集落を見下ろす尾根筋に、石積みの祭場を設けて、祀られている丸石(40cmくらい)を見つけた。

小縄(こなわ)の集落のお寺の墓地近くに、石積みの祭壇を設け、双体(手足をからみあい衣服が乱れ・破風)が祀られている。踊っているようにも見える。
珍しい造形なので、3Dモデルを撮影した。この像は他の集落にあったもので、そこでは二度にわたった大火の災難に見舞われたため、村人が腹を立てて沢へ投げ込んだものを、小縄の集落の人たちが拾い上げて祀ったそうだ。そのために大きく破損しているのだろう。

薬袋(みない)の集落の中段の道の上に石積みの祭場を設け、三段の祭壇の上に双体(欠けている)が祀られている。上の石には、[道祖神]の文字あり
赤沢宿の石畳道の分かれ道に、三基の石造物が祀られている。左奥像の台石に[道祖神]と刻まれているが、丸石は無い。境南地域には、丸石が無くて、直方体の角石の正面に円が刻まれて、[道祖神]の文字があるものもあるそうだ。これもその仲間かも知れない。

塩ノ上(しょのう)の村はずれの急坂の途中の石垣に祭場を設けて、角石の上に、自然石が祀られている。丸石道祖神のつもりなのか?

笹走(ささばしり)への広いアプローチが見つかったので、距離は長いがたどり着いた。村はずれに小さな古い半鐘塔がある。その下に、大きな祭場を設けて、下段に丸石道祖神の台石だけが残る。
上段には、双体(摩滅)が勝られている。

赤沢宿

赤坂宿の道祖神探しのついでに、石畳み道を中心に、古い町並みを撮影した。
身延山や七面山の参拝者が古くから利用してきた赤坂宿・石畳道が整備されている。

石畳道には、石段も整備されて歩きやすい。

今も営業している二つの旅館の内、こちらは大阪屋。軒下に講中札がずらりと吊り下がる。
風情のある庭

お休み処である宿の駅・清水屋の庭から、七面山の新緑がまぶしい。

休憩処・喜久屋の二階から赤沢宿を展望

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