牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

早川町の道祖神 #1

山梨県の峡南地区(但し、富士川町市川三郷町は除く)のトリに、早川町道祖神探しを始めた。早川町教育委員会発行の[早川町の石神・石仏]に35基の道祖神が掲載されている。gps座標も無く、まともな地図・住所も無い中での調査なので、GoogleStreetViewと現地踏査が鍵となる。早川沿いに点在する小さな集落をできる範囲で、くまなく調査する。リニア中央新幹線の工事車両がひっきりなしに通行する。

最奥の奈良田(ならだ)に行く途中、車から見つけた石造物に立ち寄って確認していく。草塩温泉入口の橋の袂の崖に、祭場を設け、祀られていたのは、六地蔵だった。
保(ほう)の双体(摩滅・駒形碑・合掌-合掌)が、廃屋となった商売屋の前に祀られている。

保の吊り橋から新緑の早川を撮る。
塩島(しょじま)の郷土資料館入口のT字路に、コンクリの祭場を設け、自然石道祖神が祀られている。町誌によると、男根を模しているそうだ。

茂倉(もぐら)入口近くの茂倉川橋・南詰めの擁壁の上に、自然石が祀られている。[早川町の石神・石仏]には載っていないが、竹の輪飾りがあるので、道祖神であろう。
寄り道したので、3時間近くかかって、最奥の奈良田に到着した。Y字路・南角に、大きな石を祭場にして、二基の石造物が祀られている。左像-地神・右像-文字碑[道祖神]・前に小さな丸石七つが賽物として供えられている。

奈良田から早川沿いの南アルプス街道の集落を下る。まずは、上湯島(かみゆじま)の村中・お寺の石段右手に、石祠(中に丸石)が祀られている。
下湯島(しもゆじま)の村中のY字路に大石を祭場にして、コンクリの祭壇を設け、石祠(中に丸石)が祀られている。

新倉(あらくら)の村中(上段)の火の見櫓の下に、大きな祭壇を設け、石祠(昭和38年)が祀られている。
新倉から細く曲がりくねった村道を登って、茂倉の集落に入る。村中の火の見櫓下に、複数の石造物が祀られている。石積みの祭壇を設けて、双体(破風・摩滅・合掌-?)が祀られている。もう一基の双体は見つからなかった。

茂倉の村はずれにある公民館広場の隅に、石灯篭がある。町誌によるとこれが”おおしんくぼ”の道祖神ということだが、竿に何も刻まれていない。
早川の集落の南はずれの坂道途中に、祭場を設けて、二基の石造物が祀られている。左像-双体(握手)・右像-六地蔵。地元では、”道六神”(簡略した地名だろう?)と呼ぶらしい。

早川の村中の公民館左に、祭壇を設けて、大きな丸石と小さな丸石・陽棒(のようなもの)が祀られている。
黒柱(つづら)の村中の広報無線タワー下に、祭場を設けて、双体(摩滅・白カビ・竹の輪)が祀られている。

大原野(おはらの)の集落への道は、細く曲がりくねっている村の上にあるという双体を探すが、見つからない。人影は見えない。リードをはずした犬が村を守っている。 残り21基となるが、どこも道がハードで、調査範囲も広いので、あと3回かかることを覚悟しておく。

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