牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

富士市松野の探索

墓参りのついでに、富士市・松野のマイナーな文化財を探してきた。

木島の不動滝

松野の東に位置する木島のミカン山に大日不動尊のお堂が護られている。
大日不動尊堂の右手横の洞を詰めていくと、崖に細い滝が落ちている。
滝の左手の崖に穿たれた窟に石祠がはめ込まれている。石祠の中に、大日不動明王の鋳造仏?が祀られている。
滝の左岸の崖窟には、地蔵菩薩不動明王の石仏が祀られている。

はたご池

北松野の山の尾根沿いに、はたご池という名の小さな天然の池がある。湧水によりいつも水を湛えているそうだ。池の周りには、桜が植えられているが、まだツボミだった。
小さな公園が整備されていて、東斜面からは富士山が良く見える。
池の南西側の斜面には、荒澤不動尊奥の院がある。
お堂には、不動明王の石仏?が祀られている。

石神さん

富士市・南松野の山中に石神さんと呼ばれる石祠が祀られている。
石祠の前には、穴の開いた石が祀られている。
石祠の中には、合掌した石仏が祀られている。
奉納されている石には、穴が開いている。耳を患った人が祈願し、穴の開いた石を借りて帰り、耳に当ててなでる。治ったら、お礼に供え物と一緒に石を倍にして納める信仰の対象である。

藤守の田遊び

焼津の大井八幡宮で、3月17日に奉納される[藤守の田遊び]の撮影にでかけた。昨年を含めて、過去に3回出かけていたので、今回は動画をメインに撮影した。
動画撮影の合間に、デジカメで静止画を撮影。シャッターチャンスを捉えようと、連射にしていたらメモリフルになってしまい、撮影は尻切れになってしまった。今回は、反省材料が多い撮影となってしまった。

始まる前には雨がぱらついたが、青空も見えてきた。出番を待つ小道具(藁笠・萬燈花など)
楽人は移動式の囲炉裏で暖をとる。
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花沢の里

静岡県文化財課のガイド研修で、焼津の花沢の里にでかけた。研修の合間に、花沢の里を撮影した。

観光駐車場近くの崖に、新第三紀の高草山層群・大崩類層のアルカリ玄武岩が露頭する。約1800年前の海底火山の噴出物。
花沢の里入口の灯籠と、道標[左 高崎: 右 花沢]
研修前に、道標を左に高崎の集落を歩いた。
高崎集落の南(右)の山には、花沢城跡がある。
花沢の里に向かう坂道の途中に、”オシャモッツアン”と呼ばれる大岩がある。その下部の一部を道路沿いに見ることができるが、枕状溶岩である。
長屋門の前で地元観光ガイドの案内を聞く。ミカン栽培の季節労働者を泊めるために繋げられたそうだ。
石垣の上に独特な建屋が軒を連ねる。花沢川が侵食した傾斜地に住居を立てるために、石垣を築いて平場を最大限に確保した。石垣の上には、農作業用の付属屋が立ち並んでいる。
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香貫山

研修で香貫山ジオサイトを歩きました。時間切れのサイトもあったので、翌日に再訪して追加取材した。

貫山の麓に佇む霊山寺からスタート
鐘楼台の梵鐘は、貞治三年の銘があり、県下で四番目に古いもの。
本堂軒下の雨水路
貫山麓の墓地内には、凝灰岩を利用した五輪塔がいくつかある。中央の大きな五輪塔の内部から、青銅製の蔵骨器が見つかり、元亨三年に亡くなった僧侶の墓であることが判明した。
墓地の北側の尾根下部に、横穴墓が残る。入口には、立派な門構えがつけられている。
横穴自体は、凝灰岩の崖を掘ったようだ。
道路沿いの凝灰岩露頭に高さ5mほどの大きな摩崖仏が刻まれている。地蔵菩薩か?
摩崖仏の上の尾根には、凝灰岩の地山があり、刳り抜いた内部に金毘羅神社が納められている。尾根道を進もうとしたが、猪の親子連れがでてきたので、退却した。
同じ尾根の北側の壁面には赤い碧玉(酸化鉄などの不純物を含む塊状の石英、ジャスパー)の見える露頭がある。
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富士市の道祖神 追加調査

富士市文化財の資料を整理していたら、今まで見つからなかった珍しい道祖神の情報がでてきた。ダメモトで探しに出かけた。

岩松の文字碑道祖神

富士市岩松の雁金堤の外側に建つ雁堤大修理記念碑の右手に、探していた文字碑道祖神が見つかった。
自然石に、サエノカミの和名である[佐倍乃加美]と刻んである。嘉永四年

おまけ:神谷不動尊白蛇伝説

富士市神谷の不動尊愛鷹山の溶岩流の末端崖の下にある。
参道の東側には溶岩流が露頭する。
不動尊の全景
不動尊の右手の溶岩壁に迫る階段が取り付けられている。
木祠の後の溶岩に、幅5cm 長さ2mほどの割れ目が走る。3月28日の例祭が近くなると、不動尊の使いである白蛇が現れると伝えられている。今日はまだ早かったようだ。
割れ目を左側から見る。

金山城跡-2(小室・棒石山説)

畠山国清鎌倉公方足利基氏を迎え撃つために、急いで築いたといわれる金山城に二説あるが、今日は小室の棒石山を踏査してみた。

小室の東北側からの棒石山(標高120m, 小室の城山・石とり山とも云われる)
小室の東南側からの棒石山。東向き斜面に柱状節理の絶壁が露頭する。
小さめの柱状節理の露頭から、六方石を採石した石切場
露頭近くを矢先(矢が飛んでくるところ)と呼んでいたらしい。
棒石山の北の道沿いに露頭する凝灰岩の崖に、虚空蔵菩薩の摩崖仏が彫られています。子授けの地蔵として、今でも信仰を集めています。
棒石山の北の洞には、凝灰岩の巨石に虚空蔵菩薩坐像が浮き彫りされています。この洞を反時計方向に周ると、棒石山山頂への分岐が現れるはずです。
穏やかなお顔に軟らかい日が射します。
洞の途中に、石丁場跡
洞は途中から細くなり、両側は急斜面のV字谷となる。洞を浸食した沢を遡上していくと、源頭に達して、その先に分岐があるの鞍部が見えてきた。
十字路の分岐
分岐から東向きに、棒石山の尾根に取りつく踏み跡が現れる。
文献によると空堀があるようだが、見当たらない。代わりに、帯曲輪のような狭い道が3段に設けられている。
二番目の帯曲輪?
三番目の帯曲輪?
山頂が見えてきた。
棒石山の頂部。ここが曲輪の跡のようだが、土塁は見当たらない。代わりに、通過してきた帯曲輪がある。
山頂は樹木が成長して、展望は良くない。樹間から城山が見える。
狩野川が垣間見える。
山頂下の帯曲輪の樹間にこれから向かう吶喊峰が垣間見える。
吶喊峰の頂部。
下りは、南東に伸びるやせ尾根を下ってみた。もう少しで道路という崖上から行けなくなり、大幅に戻ってにツノ洞に抜け出ることができた。

山城としての構造物は少ないが、水源となる沢があり、食料の補給も、城山よりは楽なので、こちらが金山城の可能性は高いと考える。

3D-金山城跡-2

VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 富士山南東部・伊豆東部 点群データの LPデータ オリジナル・グラウンドデータとオルソ画像データを利用して、QGISで加工 qgis2threejsで3D地形図を作成

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金山城址-1(神島の城山説)

畠山国清鎌倉公方足利基氏を迎え撃つために、急いで築いた三つの山城(三津城、修禅寺城、金山城)の内の金山城は、 神島の城山と小室の城山(棒石山、石とり山とも云う)の2説がある。

太平記や豆州志稿には、金山城址は、[小室の城山]とある。 近年、静岡古城研究会は、金山城址は[神島の城山]であると提唱している。今日は、神島の城山を踏査して、城郭の跡を見てみる。

棒石山(標高 120m, 小室-金山城)と城山(標高 338m, 神島・金山城
今日は、城山(神島・金山城)を踏査してみた。
山麓には、凝灰岩の石丁場跡が残る。
ロッククライミングのゲレンデは賑やか
城山と葛城山の登山道の分岐
地蔵菩薩の石仏が祀られている。
まずは、分岐を城山に向かう。
尾根登りが始まってすぐの左の高地が西出城跡
本曲輪の下の狭い曲輪がA地点か?
本曲輪に相当する場所だが、狭い。
本曲輪すら南に伸びる尾根を辿ってみる
この先は、ロッククライミングの崖につながっているようだ。
岩虎口手前の堀切
横からの堀切
岩虎口
巨岩を削った狭い虎口を通ると上から狙われる。
詰曲輪
山頂の高地が見えてきた。
山頂の案内板
田方平野の展望
北城
南城

神島の城山が金山城址であるという説には、史的伝承や遺物は全く残っていない。 古文書や書物にも記録が無い。 山城に必要な水や食料の補給確保には難がある。 短期間に、大規模の城を築くのは無理がある。 とのことから、【伊豆の郷土研究 第27集・金山城はどこか】の著者は神島の城山説は否定さぜるを得ないと記している。

城山は火山の根であり要害としては申し分ないが、山城の構成要素の二つ(水の確保、食料の補給)が欠けている。城山に比べて棒石山は見劣りがするので、城山説のほうが見栄えが良いことから、一般に定着しているのではないかと思う。

3D-金山城跡-1

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