牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

南伊豆のジオサイト

南伊豆・下田のジオサイトでの研修に参加した。南伊豆町役場の湯けむりホールで、事前に小山先生による詳細な座学を受けることができた。

石廊崎断層

50年前の1974年5月9日に、石廊崎断層(歴史には活動記録が無いが、B級、千年に0.1m以上1m未満のずれ)が活動して、伊豆半島地震(M6.9、震度5、伊豆半島沖が震源ではなく、石廊崎を含む伊豆半島南端)が発生して、石廊崎や中木の集落で、大きな被害が生じた。
石廊崎の集落を南東端から北西端まで歩いて、既に消えかかっている地震の痕跡を辿った。

南東端の民家裏の崖に出現した右横ずれ断層の露頭は、既にコンクリート擁壁で塞がれてしまった。緑の草が見えるところが横ずれ地点。当時は、横ずれ面は鏡面のようにつるつるだったそうだ。
集落の北側には、水底土石流の露頭が見られる。
民家の庭先(画像の中央あたり)に断層ズレが生じたと、この屋のお爺さんが話してくれた。
集落を流れる小川に沿って、断層は伸びるが、話を聞いたこの白い民家は土台が沈降して傾いてしまった。土台部分をジャッキアップして、修理して住んでいる。
集落内を流れる小川に沿って、断層は走る。
断層と直交する石垣は、断層に近い手前がかすかに変形している。断層の影響か?
石垣を3Dスキャンして、変形を可視化しました。真横や真上から見ると、手前の石垣の上部が外に傾いて見えます。
古老がシニアカーで畑まで先導してもらうと・・・
畑の物置裏に、約40cmの右横ずれ断層が残っていた。
昼食を簡単に済ませて、空き時間に石廊崎断層を空撮した。石廊崎断層は、鷲ヶ崎の付け根から西北西に伸びて、石廊崎の集落を縦断して、奥の稜線の鞍部をまたいで、中木・入間・吉田方向に伸びる。主断層の右側には石廊崎北断層の谷が見える。
TO場所の選定に失敗して、電波が途切れるので、また出直しする。
石廊崎断層周辺の地形を、VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 伊豆西部 点群データの LPデータ オリジナル・グラウンドデータ(las. 50cmメッシュ)を利用して、 QGISで地形図を作成し、qgis2three.jsで3D地形図を作成しました。
過去に累積した断層ズレが、3本の尾根と谷を約300mほど分断した。

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中木

シーズン前で閑静な中木の集落。風車の見える稜線の裏側を石廊崎断層が走る。断層による地震で、中木集落の城畑山(左の山)の斜面が地すべりを起こして、民家22戸の集落を飲み込んで、現在の駐車場が建てられた海まで押し流した。
50年前の土石流により、子供を含む27名の命が奪われた。慰霊碑に向かって、研修参加者は慰霊の黙祷を捧げた。
城畑山の崖崩れ現場。
熱水で風化した凝灰岩は崩れやすく、地震で地滑りを引き起こした。
土砂崩れで流された住宅地は整備されて、公営住宅が建てられた。津波被害を最小にするため、1階には居住部分を避けている。

和歌ノ浦

波静かな大浦湾の海岸沿いの和歌ノ浦遊歩道を辿る。
遊歩道沿いには、水底土石流が露頭する。
熱水変性を受けて緑色がかった凝灰岩(グリーンタフ)の地層も交じる。
波打ち際には、石切跡が残る。
凝灰岩のシマシマ地層(斜交層理は見られない)
カッパ岩の目が失われていたので、新たな目がつけて撮影。
がけ崩れ現場は、防護ネットが貼られて通行できるようになった。崖面はペリー提督の横顔に見えるそうだ。
中潮の干潮時刻に間に合ったので、潮の引いた波蝕台に入れる。
広い波蝕台のあちこちに、巨石が載っている。一番大きな巨石には、灯籠が積まれている。
こちらの巨石の上面は白く見える。
巨石に登ってみると、小さなフジツボの遺骸が付着している。過去の津波の際に波蝕台に打ち上げられた津波石と認定されている。
鍋田浜に見られる白い石灰岩露頭の後側は崩れたそうだが、前面はそのままだった。
赤根島の奥には、二基の巨大なクレーンで工事が進められている。

赤根島

和歌ノ浦遊歩道が見える赤根島に、オマケで立ち寄ることになった。
海中水族館のバックヤード裏に、海食洞(隆起)のゲートをくぐって赤根島に。
三島由紀夫の短編小説【月澹荘奇譚】の着想を得た磯場。海食洞は[巨神兵岩」(風の谷のナウシカ)と呼ばれている。
熱水変性した凝灰岩には、石英脈が走る。金の試掘をしたらしい跡が残る。

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