牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオサイト

下田街道 推定ルートマップ

江戸時代の下田街道の踏査が完結したので、ルートマップを整備した。全長 NET64kmを、4回+一部区間の再踏査・追加踏査を繰り返して、完結した。今では、車で約1時間半ほどで通過する下田街道の昔のルートを知り、現在の状況を知ったことで、今まで以上に親し…

白浜海岸

下田街道の追加踏査のついでに、板戸~白浜のジオサイトに再訪して、撮影。 板戸・龍宮島 尾ヶ崎ウィングから、龍宮島を望遠で撮影。スローシャッターで白波に囲まれる龍宮島を表現したかったが、150mm以上の超望遠が必要で、ND16では不足。また、島の右半分…

下田街道の終点はどこか?

下田街道の踏査が完結したが、終点の位置が釈然としなかった。ネットで調べたら、地元でも諸説あるようで、確定していない。そこで、それぞれの諸説を現場で調べてみた。 ①一番有力なのは昔の県道地図より調べた終点となっている二丁目のスルガ銀行下田支店…

下田街道を辿る #5(川合野~下田)

江戸時代の下田街道を辿る踏査も下田までの道のりを残すのみとなった。途中の小鍋峠は、下田街道の難所のひとつ(他に、横山峠・二本杉峠)と言われるが、その後の長い下りを経て、下田を目指す。 **写真が多いので、スマホでの閲覧はWiFi限定としてください…

西伊豆 追加巡検

海名野新明神社の三番叟撮影のついで、午後の待ち時間に仁科川の懸案事項を調べてみた。 白川出合 水底土石流 [伊豆の大地の物語]P19に、出合の水底土石流の写真が載っている。現在は、コンクリートの擁壁に覆われているので、観察できない。仁科川の支流…

下田街道を辿る #4(水垂駐車場~大鍋入口)

前回の踏査で、宗太郎林道の南端にある水垂駐車場から七滝温泉に降りる際に、猿田渕に降りる滝々段々橋を下ってしまい、古道を辿ることが出来ずに、踊り子歩道を下ったことに気が付いた。ネットで調べたら、釜滝へ降りる道の途中から、分岐する古道があるこ…

ジオツアー三島で大場川周辺を歩く

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、三島市・向山の大場川周辺を歩きました。 二日町駅をスタートして、大場川に向かう途中、二日町グラウンドから南の一帯には、明治時代に花島兵衛門・轍吉親子が牛乳の生産・加工した工場があった。下河原…

下田街道を辿る #3(大川端~河津七滝)

江戸時代の下田街道の道筋を踏査の3回目。天城峠北側の大川端から二本杉峠を越えて、河津七滝まどを辿る。文政2年(1820)に、梨本村の名主であった板垣仙蔵が私財を投じて開通させ、幕末には老中松平定信やハリス、吉田松陰、唐人お吉などが利用したと…

頼朝-山木攻め

下田街道の踏査を進めて整理していると、側道や枝道にも興味が湧いて来る。吾妻鏡に山木判官兼隆の攻撃ルートのひとつとして出てくる”牛鍬大路”を知りたく、関連資料を調査したが、諸説が多く、疑問が増すばかりでよくわからない。いくつかのルートを推定し…

下田街道を辿る #2(修善寺橋~大川端)

江戸時代の下田街道踏査の第二回は、修善寺橋から大川端を予定していたが、ぶり返した猛暑で一日では回り切れなかった。二日に分けて、なんとか辿ることができた。 修善寺橋~出口 修善寺駅から、下田街道踏査の再開地点の修善寺橋に向かう。橋の下流の堤防…

三島宿 文久三年の軒並絵図を歩く

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、安政の大地震後の文久三年(1863年)に描かれた三島宿軒並絵図を元に、歩いた。 三石神社~唐人町 スタートの三石神社脇を流れる源兵衛川。小浜池の昨日の水位は95cmと今年は満水には届かないだろう。本…

在庁道の踏査

下田街道の踏査を始めてすぐに、在庁道の存在が気になりだした。ネットの古地図から割り出したルートのできるだけ近似できるルートを設定して、踏査してみた。NET 5Km 伊豆に流された源頼朝は伊豆一之宮である三嶋大社を深く崇敬し、源氏再興を祈願するため…

下田街道を辿る #1(三嶋大社~修善寺橋)

お彼岸を過ぎて、ようやく夏から秋に移ろいを見せ始めた。熱中症のリスクを避けて、アウトドア活動を控えてきたが、少しずつ戻していきたい。下田街道は、過去に二度挑戦して、天城峠越えのルートが不明で挫折していた。江戸時代に松平定信や川路聖謨が天城…

西伊豆 追加巡検

仁科層群についての追加情報を知ったので、ようやく猛暑も収まってきた西伊豆に出かけた。 桜田のタービダイト 研究用ジオサイトのひとつの松崎町・桜田のタービダイトのエリアが判明したので、桜田から那賀にかけての根方道を歩いて、タービダイトを探して…

日金道(玉澤ルート)

三島方面から日金山に向かう古道は、三嶋大社から下田街道で大場まで下り、根府川通りを通るルートが痕跡の多さからよく使われたと考えられる。一方で下田街道の途中、東本町の交差点から谷田に向かう道も日金道として使われた形跡がある。日金道(玉澤ルー…

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