牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオサイト

富士市松野の探索

墓参りのついでに、富士市・松野のマイナーな文化財を探してきた。 木島の不動滝 松野の東に位置する木島のミカン山に大日不動尊のお堂が護られている。大日不動尊堂の右手横の洞を詰めていくと、崖に細い滝が落ちている。 滝の左手の崖に穿たれた窟に石祠が…

香貫山

研修で香貫山のジオサイトを歩きました。時間切れのサイトもあったので、翌日に再訪して追加取材した。 香貫山の麓に佇む霊山寺からスタート鐘楼台の梵鐘は、貞治三年の銘があり、県下で四番目に古いもの。 本堂軒下の雨水路香貫山麓の墓地内には、凝灰岩を…

金山城跡-2(小室・棒石山説)

畠山国清が鎌倉公方・足利基氏を迎え撃つために、急いで築いたといわれる金山城に二説あるが、今日は小室の棒石山を踏査してみた。 小室の東北側からの棒石山(標高120m, 小室の城山・石とり山とも云われる)小室の東南側からの棒石山。東向き斜面に柱状節理…

金山城址-1(神島の城山説)

畠山国清が鎌倉公方・足利基氏を迎え撃つために、急いで築いた三つの山城(三津城、修禅寺城、金山城)の内の金山城は、 神島の城山と小室の城山(棒石山、石とり山とも云う)の2説がある。 太平記や豆州志稿には、金山城址は、[小室の城山]とある。 近年…

山中城址

伊豆半島の山城の踏査を進めていくなかで、山中城址を山城の観点からの写真が少ないことが判明した。しばらく雨予報なので、踏査に出かけた。 岱崎出丸 初めに、箱根旧海道の石畳みを横切って、岱崎出丸から入城する。岱崎出丸の北東側から出丸本体を見上げ…

戸倉城跡

清水町の本城山を山城として、後北条氏が築城した徳倉城跡を二日かけて踏査した。 大手口はどこか? 戸倉城跡の看板の地図では、大手口は本城山の西にある狭間あたりとなっている。その狭間では、左の丘が水神社、右の丘が摩利支天曲輪。武田方と対峙する目…

長浜城跡

内浦の長浜城跡を踏査した。4月並みの暖かさに、上着を一枚脱いだ。 大手(?)はどこ? 戦国時代には、長浜城は現在の道路がある陸地と接しているだけで、現在のトイレや駐車場付近は、かつては海だった。水軍の城だったので、現在の登城入口も海に面して…

興国寺城跡

快晴の下、根方街道の興国寺城跡をくまなく踏査した。 大手~三ノ丸 三ノ丸南から、東大手と三ノ丸方面を見る。現在の根方街道は三ノ丸の中央を東西に突っ切って通る。根方街道から大手の道が登っていく。根方街道南の原も三ノ丸だが、南端に1mほどの土塁…

韮山城跡 踏査 & 3Dモデル

山城の踏査の続きとして、伊豆の国市の韮山城跡を踏査した。今日は単焦点の超広角レンズ一本の慣らし運転。地名は判明しているものと推定されているものが混在している。時代によって、韮山城の存在意義は変化しており、異なる時代の地名が混在しているので…

泉頭城址 再踏査 3Dモデル

山城の3Dモデル化の一環で、山城とは言えないが、泉頭城址を取り上げるので、歩いて確認した。ついでに、中古の単焦点(33mm f1.8)レンズの慣らし運転をしてみた。 北曲輪付近 二ノ洞跡から北曲輪を見上げる北曲輪付近の商業地 一ノ洞・堂ノ口出丸 国一バイ…

香貫用水 踏査#4・菜園堀、他

数回に分けて香貫用水を踏査して、整理していく中で、いくつかの確認が必要になったので、追踏査した。 菜園堀 前回、上堀の踏査で菜園堀の末端(御成橋)まではルートが良く分からないので省いていた。改めて、前回に踏査した文化センター西の交差点から始…

香貫用水 踏査#2・上堀-1

世界かんがい遺産に登録された香貫用水の内、上香貫村の水路である上堀を上流から、狩野川への合流点まで踏査した。 上堀 香貫揚水場で取水された香貫用水は、黒瀬橋南の交差点付近の暗渠中で分流する。下堀は内膳通りを暗渠で南に進むが、今回踏査する上堀…

香貫用水 踏査#3・上堀-2

香貫用水の上堀は文化センターの北東角で二筋に分流する。文化センターの北側を流れる菜園堀と市場町から南向きに流れる香貫用水を踏査した。但し、西島樋門からの遡行となるので、写真は上流から下流向きに撮影して、順序を逆に整理した。 上堀は文化センタ…

香貫用水踏査 #1・下堀

世界かんがい施設遺産に登録された香貫用水の下掘を、取水堰跡付近から塚田川との合流点、更に牛臥水門まで踏査した。全容の踏査には、もう少し必要だ。 取水堰跡付近 香貫大橋の西詰の北に、取水堰に使われたといわれる大石に”内膳堀跡”と刻まれている。。…

ジオツアー三島:二日町~広小路

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、新春の二日町駅から広小路駅までをのんびりと歩きました。 頼朝道が通る青木原は御殿川が蛇行の内側に残った傾斜面の台地で、弥生時代~古墳時代の遺跡が発掘されている。貫禄のあるアパートの外壁を思わ…

西浦の石蔵@江梨・久料

霊場巡りのついでに、江梨と久料の石蔵を探してみた。 江梨の石蔵 石蔵-1下部は大井凝灰角礫岩で、上部は小室石(凝灰角礫岩)のようだ。 石蔵-2熱水変性によりピンクに変色した凝灰岩(大谷石か?) 石蔵-3緻密な凝灰岩? 石蔵-4凝灰角礫岩 石蔵-5白黒の凝…

ジオ納め: 原保の温泉スタンド & 大見城址

今年の後半はジオで忙しかった。ジオ納めに、懸案となっていた中伊豆のジオサイトを訪ねた。 原保の温泉スタンドの源泉を探す 原保の温泉スタンドの井戸を探しに出かけた。温泉スタンドの自販機の裏の小屋にボイラーが隠れていて、24.8度の源泉を50度に沸か…

長泉 本宿用水の実査

世界かんがい施設遺産に登録された本宿用水の流路を示す地図が手に入ったので、歩いて流路を確認してみた。現在では、住宅地が広がって、田畑が縮小したので、灌漑用水の水利がピンとこない。 新井堰 鮎壺の滝の左岸上流に新井堰を設けて、黄瀬川から取水す…

熱海 七湯

まだ鼻風邪は残るが、身体慣らしに熱海の七湯を巡ってみた。 河原湯 海岸に一番近い河原湯。このあたりは東浜といい、石がゴロゴロした河原だった。温泉が絶えず豊富に湧き出て村人の入浴場でした。熱海村の農民や漁師や近郷の人たちが自由に入浴できたのは…

中伊豆 下見

中伊豆のガイドの下見 筏場のワサビ田 筏場のワサビ田の紅葉橋の下流側のワサビ田 原保の温泉スタンド これが噂の温泉スタンドたまたま軽トラが給湯に来ていた。温泉スタンドの裏で、温めているらしい。かなり熱い。250Lのタンクで家庭用のお風呂があふれる…

石廊崎 下見

ガイド研修の下見に、地元ガイドさんに案内してもらった。石廊崎の先端は強風で下見は十分できなかった。研修当日には風がやんでいることを期待する。 日和山 日和山山頂直下には、2か所の展望所がある。石廊崎が良く見える展望所強風で前に出れない。逆光…

熱海 中張窪石丁場跡

熱海市教育委員会・生涯学習課主催の中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場跡の見学会に参加した。刻印の年代から、江戸城の築城用に採石されたと推測される。専門家の解説があると理解が進むのでありがたい。 羽柴右近の刻印石 標高372mの小山の中腹の急斜面に石…

観音滝

原生林の紅葉の様子を見に出かけた。途中で雨が降ってきたが、アカガシNo.1まで行って、引き返した。オオモミジの紅葉は見られなかった。 観音滝 ついでに、雨降りの観音滝を撮影した。右側が少しだけ黄葉している。

丹那断層の下見

丹那断層のガイドの下見で観察場所を確認してきた。 川口の森西南の子の神トレンチ跡の田んぼ子の神トレンチ跡近くから、軽井沢方面を望む 断ち切られた谷-B’地点@田代断ち切られた谷-A’地点@田代盆地 コスモス畑-Aコスモス畑-B 断ち切られた谷-…

ジオツアー三島 田町駅周辺

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアー三島に参加して、田町駅周辺のジオと歴史を歩いてきました。細く迷路のような路地を歩いて、御殿場泥流が堆積して台地と御殿川に浸食された谷地形の間の高低差を上り下りした。 田町駅からスタートして、南のお蔵場台…

三嶋大社 「三嶋の神のモノガタリ」ウォーク

美伊豆主催の[三嶋の神のモノガタリ]を歩いて知るジオカフェ@三嶋大社編に参加した。国学院大学の先生より、三島の地で三島明神がどう受け入れられたのかを傾聴した。一連の知見により、伊豆諸島の火山神であった三嶋大明神との関係が整理された。 七五三…

白濱神社 「三嶋の神のモノガタリ」ウォーク

美伊豆主催の「三嶋の神のモノガタリ」ウォーク@白浜に参加して、白濱神社周辺を歩きました。 白濱神社は伊豆国最古の宮とある。白濱神社は、三嶋明神と後后である伊古奈比咩命を祀る。まずは、白浜大浜に降りて、ガイドの解説を聞く。 赤い鳥居が印象的な…

ジオツアー三島 柿田川・泉頭城址~丸池

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、柿田川公園にある泉頭城址と丸池・清住緑地を歩きました。 ~柿田川公園 柿田川の源流付近には、西から一ノ洞・二ノ洞・三ノ洞が境川と湧水に浸食されて深い谷となっている。国道の向こう側が三ノ洞の上…

修善寺 観音洞の大岩

修善寺温泉南の鹿山の観音洞という場所に、二つに割れた大岩があるとの情報でさっそく探しに行った。 観音洞の大岩 指月殿の西の小道を進んでいき、沢にかかる橋を渡って、沢沿いの道を進み堰堤を越えると、広い空間に大岩が見えてくる。右手前に小さな割れ…

西伊豆

道祖神調査のついでに、西伊豆のペンディングも消化した。 戸田・洋式帆船建設場跡 戸田港の御浜岬寄りの大浦に、津波で沈没したディアナ号の代船とするヘダ号を、建造した跡が残る。この建造跡地に大正12年、記念碑が建立された。 建設場所の様子を伺えるも…

牛歩的写真中心網録”