函南遺産に掲載している西口軽便鉄道を十年ぶりに再訪して、最新の状態を確認した。
青い屋根の建物の方向に進む。
平井台地の山裾を進むのだが、それらしい跡は残っていない。
向かって右手の山裾を通るのだが、それらしい場所は見当たらない。
右手の柿畑あたりを通過した?
下の道に続くのは、この分岐だが、向きが反対なので、機関車・貨車は曲がれないと思う。
軽便鉄道の本線は、まっすぐ進み、現在の中川製紐工場に続く。工場は、昭和27年に国鉄より払い下げられて建設したとのこと。(たまたま、先代の97歳のお爺さんににお聞きした。)ここから工事現場へはトロッコに積み替えられて、降ろしたようだ。
工場の奥には、丹那隧道殉難者慰霊碑が建つ。
根岸坂近くで、柿と富士山を撮影。
上沢耕地から横渡りまでの経路と、発電所の支線の経路が明瞭ではない。終点で、機関車・貨車は方向転換はどうしたのか、気になる。また、支線が冷川を渡るための橋脚が、以前はあったが、見つからなかった。