牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

西口軽便鉄道の再訪

函南遺産に掲載している西口軽便鉄道を十年ぶりに再訪して、最新の状態を確認した。

西口軽便鉄道は、現在の大場駅と丹那にトンネル西口現場を結ぶトンネル工事専用の狭軌の鉄道でした。大場駅は、東海道線・駿豆鉄道で運搬してきた建設資材などを積み替えて、運搬した。
大場駅を発車して、右折して清水函南停車場線に沿って、東に進む。
南高の前を進み、現在の縦貫道と交差する。
寺岡製作所前の井望田用水の水門付近で、停車場線から右に分岐するが、現在は民家が建っているので、痕跡はない。

現在の函南クリニックの左手を東に進む。
上沢公民館のグラウンド付近を通過して、来光川を渡るが、かかっていたであろう橋の痕跡は全く残っていない。

青い屋根の建物の方向に進む。
平井台地の山裾を進むのだが、それらしい跡は残っていない。

向かって右手の山裾を通るのだが、それらしい場所は見当たらない。
右手の柿畑あたりを通過した?

左手の柿畑の間を、北に進んだ?
当時は田原野函南停車場線はまだ無くて、軽便鉄道はこの崖下あたりを通過したのでは?

当時は無かった田原野函南停車場線と交差するように、右手の細い軽便道を登っていく。
軽便道は、函南神社の前を東に進む。

途中から大竹の発電所に分岐する支線があったのだが、
左の分岐は階段に続くので、これでは無いと思う。

下の道に続くのは、この分岐だが、向きが反対なので、機関車・貨車は曲がれないと思う。
軽便鉄道の本線は、まっすぐ進み、現在の中川製紐工場に続く。工場は、昭和27年に国鉄より払い下げられて建設したとのこと。(たまたま、先代の97歳のお爺さんににお聞きした。)ここから工事現場へはトロッコに積み替えられて、降ろしたようだ。

工場の奥には、丹那隧道殉難者慰霊碑が建つ。
根岸坂近くで、柿と富士山を撮影。

上沢耕地から横渡りまでの経路と、発電所の支線の経路が明瞭ではない。終点で、機関車・貨車は方向転換はどうしたのか、気になる。また、支線が冷川を渡るための橋脚が、以前はあったが、見つからなかった。

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