久しぶりのふるさとガイド養成講座です。
- 田代の双体道祖神のテキストの読み合わせ
午前中は、田代の双体道祖神について各自がまとめたテキストの読み合わせを行いました。道祖神だけでも、先生の博学で話のネタはつきません。町内の石造物マップを入手したので、調査のネタが増えました。
今回から、仏の里美術館に展示される仏像群の学習です。本日は、薬師如来と十二神将の解説を聞きました。その後で、ガイドテキストを800字以内(約3分間の説明が飽きない限度)で、各自作成して、先生の添削を受けました。800字以内に抑えると、皆さん3分間前後で説明できることが確認できました。
次回までに、暗記してくることが宿題として出されました。
以下はqshiroの作文です。昔から作文は苦手でしたが、先生のテキストを参考にすらすらと書けました。(というか、先生の受け売りですが)
【薬師如来と十二神将の説明をします。
薬師如来は、この世のはるか東の瑠璃光浄土に、日光菩薩、月光菩薩、十二神将や多くの菩薩たちといます。人々の病を取り除き、貧困や災害などから救い、現世利益をもたらす如来として、飛鳥時代から人々の信仰を集めました。左手には万病に効くという薬の入った薬壺を持っています。この薬師如来像は、榧材の一木割矧造で、円満なお顔立ちとまとった衣の表現や豊かな体つきから、平安時代中期・十一世紀半ば頃に制作されたと推定されます。作者は不明ですが、平安時代に多く作られた定朝様式を継承する仏師の作と考えられます。[筥根山縁起]には、弘仁八年(1817年)桑原の新光寺という大きな寺が建立されたとの記載があり、この地ではこの薬師如来像は新光寺の本尊であったと伝えられてきました。また1800年代に編纂された[豆州志稿]という郷土史では、この近くのお堂に、十二神将と一緒に祀られていたとされています。薬師如来は、脇侍として日光菩薩と月光菩薩を伴うことがあります。薬師如来が桑原の薬師堂に祀られていた当時は、脇侍二体がありましたが、後の調査で制作年代が新しく、日光菩薩と月光菩薩とは考えられないので、この美術館には展示していません。
薬師如来の後ろに並ぶ仏像群は十二神将と呼ばれ、薬師如来の分身でもあり、薬師如来と東方瑠璃光浄土及び薬師如来を信仰する人々を守るために、甲冑をまとった武将の姿をしています。また、十二支と結びついて、頭にはそれぞれの干支の動物をつけ、方位や時刻の守護神としても信仰されています。今年は、辰年ですので、波夷羅大将が当番で守ります。これらの十二神将は、平安時代末期に造られました。その後の地震などで破損したため、鎌倉時代に四体、南北朝から室町時代に四体、江戸時代に一体が作り変えられたり、補修されています。東日本に現存する十二神将のほとんどが、室町時代から江戸時代の作で、小型品が多い中、ここの十二神将は像高が一メートル前後と大型で、十二体揃っていることは全国的にも貴重です。薬師如来と十二神将は静岡県の有形文化財に指定されています。】
まずは、ジオガイドの認定試験を片づけてから、暗記を短期間で取り組もうと思います。