牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

根府川通り #0 (三嶋大社~大場)

根府川通りの踏査は、下田街道の分岐となる大場~小田原まで歩いて、一区切りとした。根府川通見取絵図では、三嶋大社まで表されているので、ついでに、三嶋大社から大場分岐までを踏査して、締めくくりとした。

三嶋大社

根府川通りの起点となる三嶋大社に、参詣する。
舞殿の背後に、拝殿が控える。
本殿の左手に、地主神を祭るとされる若宮神社が建つ。
天然記念物の金木犀は樹勢を取り戻しつつあるようだ。
神馬舎
頼朝政子の腰掛石
神池と厳島神社
頼朝が三嶋大社に源氏再興を祈願して、百日間日参する際に、安達盛長がこの場所で警護したと伝えられる。
かつては、大社前の東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目をした”たたり石”は、大正三年の道路工事で掘り出されて、ここに据えられた。(御殿場泥流の大石)

大鳥居前~二日町

三島大社の大鳥居前で、東海道から分岐する下田街道は南進する。
根府川通りは、大場までは下田街道と同じルートを辿る。
菰池・白滝公園の湧水が流れる桜川(暗渠)は、旧筋違橋趾で下田街道を斜めに横断する。見取絵図にある石橋が再現されている。
少し古道から外れて、見取絵図に記される寺社に立ち寄る。古道の東には、旧市ケ原廃寺(大興寺)の広大な旧伽藍跡地に、小田原北條氏の氏寺であった祐泉寺が建つ。
境内の大石は、下田街道沿いにあった旧市ケ原廃寺の西塔の塔心石が移設されたもの。
境内の大六尊点のお堂
祐泉寺背後の墓地には、北条早雲の三男・幻庵の嫡男である北条新三郎の墓所が祀られている。
祐泉寺を出て、小路を南に進むと、法華寺に至る。境内左手には、三十三観音堂がある。
法華寺にも[頼朝公腰掛石]がある。
法華寺から西に進み、市役所南の誓願寺に参拝する。
古道に戻り、南に進むとすぐに、言成地蔵尊がある。
狭い境内左手に、地蔵さんと道祖神の石造物が祀られている。
境内に据えられている大石は下田街道にあった石橋のなごり。
東本町の交差点が、日金道(玉澤ルート)への分岐らしいが、見取絵図に記されている道標(道印)は見当たらない。
また、古道から外れて、妻塚観音堂に立ち寄る。三嶋大社百日祈願に日参する頼朝を、敵方の大庭影親が誅殺しようとした際に、誤って自分の妻を切り倒してしまった。菩提を弔うためにここに塚を建てたそうだ。
頼朝が三嶋大社への百日の丑刻祈願の途中、路傍の祠の松の下で、しばしの仮眠をとったと伝えられる。間眠神社はのちの時代に建立されたもののようだ。
南二日町で、古道を伊豆箱根鉄道が横切る。

南二日町~大場

踏切を渡り、南下すると、手無地蔵堂に着く。
境内に、唯念名号塔が立つ。
時代物の石造物群が祀られている。
古道から外れて、東の大場川沿いに建つ中村の天泊神社に立ち寄る。
境内には、大場川拡幅工事で出土した推定樹齢2000年の神代楠の一部が保存されている。
天泊神社南の医王寺に立ち寄る。山門は、樋口本陣の南門を移築したと伝えられる。
医王寺の本堂
民家の石屏前に、中村の単体道祖神が祀られている。
中村の踏切から、富士山を望む。
古道に戻り、南進すると、右手奥に左内神社が建つ。
古道に戻り、少し南進すると、右手の民家前の木祠内に地蔵菩薩が祀られていた。
地蔵の左手の細い道を西に進むと、真明院が建つ。
境内手前に、唯念名号塔と石造物群が祀られている。
境内の六地蔵手前に、白梅の花がほころんでいる。
再三の寄り道から、古道に戻る。大場橋西詰めに、[南無妙法蓮華経]と刻まれた石碑が祀られている。新田忠常の妻が渡し舟転覆で水死したのは、この場所と考えられる。
大場橋上から、南の天城山を望む。
大場橋を下って、すぐの左手の細い道に立ち寄ると、大場神社がある。
境内左に、道祖神などが祀られている。
下田街道の分岐が、ゴール。南に右折すると下田街道、東に直進するのが根府川通り。

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