牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオツアー三島【下田街道沿いの頼朝伝説を訪ねる】

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアー三島64に参加して、大場~三嶋大社にかけての下田街道沿いの頼朝伝説を訪ねた。

間宮の廣渡寺の八幡宮[頼朝は百日祈願の途中、仮眠していると、夢に阿弥陀さんが現れ、願いをかなえると告げられた]地元では間眠神社ともいう廣渡寺墓地に眠る大場の久八の墓石(これは三代目になるらしい)久八は生粋の侠客を貫き通して、街道でも顔役だった
間宮の新明神社[頼朝が山木館を攻めたときに人馬を揃えた]との言い伝えがあるケヤキの巨樹 樹齢400年(秀吉の小田原攻めの際に、北伊豆の大きな木は伐採されているはず)
御殿川と大場川の合流点梅縄城跡は後北条から元和まで続いた領主の屋敷跡 御蔵場もあった
梅名の梅竜寺の六地蔵(長岡凝灰岩の中部層で、緑色)梅名の右内神社の力石
右内神社 [頼朝が百日祈願の際に参詣したが、境内に手洗い水が無いため、長刀で参道脇をつついたら水が湧き出した]との伝説がある宇米都池(以前はウナギが生息していたウナギの池?)
もうひとつの宇米都池跡の碑塚田の碑跡(太閤検地の名残らしい)
道の奥に、古い佐内神社跡があるそうだ手無地蔵堂の石造物群 [頼朝が百日祈願の際、このあたりを通ると美女が後をつけてくる。うるさく思って美女の片手を切り落としたところ、地蔵の手が無くなった]御開帳の時に拝観できるか?
東洋ゴムの踏切あたりを以前の下田街道はまっすぐ通っていたのだろう
旧三島測候所 北伊豆地震の観測も行った。平成15年から無人化された今はアメダス無人で観測
間眠神社 [百日祈願の際に、境内の松の下でまどろんだ]今の松は三代目らしい。大注連縄は長崎の人が奉納している。重量のバランスをとるため、鳥居は初めから傾けてある
間眠神社の境内外には、菅笠の原料となるスゲが育てられている間眠神社前の細い道が在庁道と考えられている
間眠公園に残る石橋は三島溶岩製妻塚観音堂[頼朝の百日祈願を付け狙う男があった。男が頼朝と思って切り殺したが、自分の妻だった]
言成地蔵堂
法華寺に残る頼朝の腰掛石地蔵尊は、頼朝が心経を写経して奉納した経塚を護る?
祐泉寺市ケ原廃寺の塔心礎石(御殿場泥流の巨石)
三嶋大社のタタリ石安達藤九郎が頼朝警護のために待機した松
神池 [頼朝が放生会を行った]牛石[頼朝が参詣の際に、後ろに現れた怪物を切りつけたところ、牛のような大石に刀傷が残った]
頼朝・政子の腰掛石神護寺への参詣道が流鏑馬に使われる
宝物殿前の狛犬(吽形)阿形の狛犬(どちらも小室石)


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