牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオツアー三島 田町駅~三嶋大社

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、三島田町駅から三嶋大社までのマイナーなジオサイトを巡りました。

田町駅東のアンダーパスは、無間ヶ谷という低地の一部
住宅地の中にある駒形屋は、昔懐かしい玩具と駄菓子の問屋だが、子供向けに小売りもしている。
住宅地に残る石蔵(東部の石蔵は、大正関東地震後に、建てられたものが多いそうだ。)
イズッパコの学校踏切の南側の低地に、現在の知徳高校の前進であった[三島実科高女]があった。老朽化と狩野川台風の被害で、竹原に移転した。
間眠神社は御殿場泥流の堆積面上にある。西側には御殿川に浸食された低地が比高2mの崖で接している。
玉垣の桜
玉垣の下の左端の石祠が、狩野川台風の時に、伊豆の国市長崎から流された稲荷神社の石碑ではないかとの説があるそうだ。
頼朝が源氏再興祈願して、三嶋大社にお参りした帰り道、まどろんだという松の六代目が植えられており、その前に石灯篭(長岡凝灰岩上部層)が立つ。棹の部分に、斜交層理のはいった石材が使われている。
玉垣外で、菅笠などの材料となる萱を育成している。
境内で、まどろみ伝説の紙芝居を見る。
境内右手の空き地には、根府川通り(下田街道)に掛けられていた石橋の石材や、低地から掘り出した御殿場泥流の巨礫が置かれている。
神社前を通る在庁道を頼朝は通った。
妻塚神社の桜
妻塚の石碑(古地名の”才塚”を、頼朝伝説に結びつけるために、”妻塚”と名付けたようだ。
奈良時代国司館(居館)があった場所には、マンションが建つ。ここから、国庁に伸びる大路があったようだが、今では民家が立て込んでいる。
言い成り地蔵付近に三島宿の南見付があった。
言い成り地蔵の境内にも、石橋の石材や巨礫が運び込まれている。
祐泉寺手前にも頑丈そうな石蔵が残る。
祐泉寺に残る塔礎石には、大きな心柱の跡が残る。市ケ原廃寺の礎石と考えられる。
祐泉寺のシダレモミジに小さな赤い花が咲いている。
祐泉寺の墓地奥には、北条新三郎氏信(早雲の孫)の宝篋印塔(右)がある。
筋違橋で桜川の支流が暗渠で斜めに走る。
大社手前の下田街道

三嶋大社で花見

大鳥居でジオツアー解散後、見ごろを迎えた境内の桜を撮影した。神池に触れそうな桜の枝
神門内の参道のソメイヨシノは見ごろで、カメラを構える人が多い。
神門から参道をふり返る。
神鹿苑の桜
神池に枝垂れる桜
神池の桜
神池手前の枝垂れ桜と奥の参道

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