静岡県地学会・東部支部主催のジオツアー三島に参加して、楽寿園周辺の歴史とジオを復習した。
楽寿園周辺
楽寿園駅前口から北を見る。今ではホテルや三島駅構内となっている小浜山には刑場があり、刑が執行されるときには大勢の人が集まった。駅北の小浜山刑場供養碑は、新幹線工事の際に、移設された。

愛染小路一帯は、三島溶岩流の東縁が箱根の西麓に阻まれた崖地形を削って造成された。民地に、溶岩崖の痕跡が見える。

文化センター駐車場の西側は楽寿園と緒明邸があるが、溶岩流の東端に位置する。

愛染院の溶岩塚

楽寿園正門前の溶岩流末端では、指状に広がった様子が観察できる。

白滝公園の南には、水車小屋が立ち並んでいた。

浅間神社の神池の底は湿ってきた。昨日の小浜池の水位は10cmなので連年よりは少ない。

浅間神社の溶岩塚には、コノハナサクヤヒメの足型が残る。

本殿前には、小さいながら縄状溶岩が残る。

本殿前には、小さな溶岩塚が露頭する。

芝岡神社の左わきには、富士登山道が北に延びていた。

楽寿園南側のいずみ橋手前に、木食観正の石碑が建つ。元々は、芝岡神社の富士登山道入り口にあったが、小松宮別邸築造に伴い撤去された。一時的に源兵衛川の川端で踏み石として使われた経緯もあるが、今ではここに移設した。

楽寿園南出口の蓮沼川は小浜用水の源流。

ホタルの里の西角には、小松宮が清国から搬入した望楼が石垣の上にあった。

住宅地の中に、かつての李王世子別邸の正門があった。今では住宅が建て込んで、往時の様子は伺えない。

伊豆国分寺(僧寺)
楽寿園の西側に広がる本覚寺の境内。この辺りに国分寺の僧坊があったと考えられている。

本覚寺南に広がっていた国分寺の境内跡。七堂伽藍があったと考えられている。

太宰治が通った坂部酒店付近

松根印刷所

国分寺の西門があったあたり。

踏切の奥に国分寺の経楼があった。

初代の三島保健所跡。北側の腰壁には江浦白色凝灰岩の石材が用いられている。

国分寺境内の本堂北側には、国分寺のの七重塔の礎石(全16+芯石)の内、北側の8個の礎石が保存されている。いずれも、御殿場泥流の大石。

礎石の中心には柱穴が見られる。

礎石跡の手前には、発見された瓦の破片が陳列されている。伊豆長岡の花坂の窯元で作られたもの。

ひろせ池
源兵衛川の親水公園周辺には、明治時代には高級料亭のひろせ楼があった。

広瀬橋からひろせ楼跡を見る・
