牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

三宅島ジオ巡り-1 南部~東部

グスグスしている梅雨の合間を狙って、三宅島に出かけた。たまたま、雄山火口を観察できる体験入山775ツアーの企画に応募したついでに、三宅島の火山活動をくまなく巡ることになった。
船中泊+2泊3日で、レンタカーで一周30kmていどの島を3周ほど回った。心配した天気も、上々で3日とも行動できた。

量が多いので、-1,2,3の三部に分けてアップします。

竹芝桟橋から三池港

遅い梅雨入りの雨の中、竹芝桟橋からさるびあ丸に乗船。
午後10時30分に出航して、しばらくは東京の夜景が楽しめるので、甲板に繰り出す。

数ある二等船室の一室を独り占めして、ゆったりと仮眠できた。大型船だけあって、揺れは少なく、船酔いは心配ない。(エンジンの振動はすごいが)

目覚めると、三宅島に接近。西風が強いので、東岸の三池港に着港する。
夜明けの三池港に無事上陸。幸先の良い日よりかな? さるびあ丸はこの後、八丈島に向かう。御蔵島寄港はキャンセルとなった。


画像が多いので、パケットを大量に消費します。スマホの場合は、WiFiに接続してご覧ください。

朝5時過ぎに阿古の民宿に到着して仮眠。朝食後に、レンタカーでジオスポット巡りを、1日目は、島の南部から左回りで始める。強風だが、快晴で熱中症が心配なので、休憩を取りながら、巡る。錆ヶ浜のスーパーで島ノリ弁当を購入。東京都だけあって、道路・トイレは完備。走りやすく、空いている。軽レンタカーは、エアコンを入れると、減速してしまう。法定速度でゆっくりと走った。

薄木 溶岩流

1983年に二男山(七島展望台)付近で噴火が始まった。長さ4.5kmほどの割れ目にできた90もの小さな火口からの溶岩流は谷を下って、都道を越えて海にまで達した。
溶岩原には、溶岩流特有の微地形がみられる。
都道を乗り越えた溶岩流は、当時の海を埋め立てた。

噴火災害保存箇所

1983年の二男山南西部で割れ目噴火が発生した。近くにあった新澪池では水蒸気爆発を起こした。
巨大な岩塊が飛来落下した。当時の歩道部分に落下した岩塊とアスファルトのひび割れが保存されている。

新澪池跡

1983年の水蒸気爆発で、ここにあった新澪池(1763年にできたマール)は、一瞬にして消え去った。今では周囲に樹木が茂り、展望台から全貌を見ることはできない。
一段高い展望所からも見えなかった。

新鼻新山

新澪池跡の海側には、1983年の噴火の最後に噴火した火口が作った火砕丘が出来ました。その後、荒波に侵食されて、火災丘の断面が露頭しています。高温のマグマ中の鉄分が赤く酸化して、鮮やかなシマシマの地層が見えます。
新鼻新山の最先端近くまで接近。
先端部から、西側の海岸線を眺める。
新鼻新山から、雄山方面を眺める。二男山は、ピークの下あたりか?
新鼻新山の東側のスコリアは、黒色なので、火口より少し離れていることが分かる。
火砕丘の平地には、赤と黒のスコリアと火山弾らしき岩塊が転がる。
海まで達した溶岩流は、急冷されて自破砕しているようだ。

立根の仮橋

2000年の噴火で生じた泥流・土石流で、島内を周回する都道に多数の被害が生じた。その後、都道の復旧は進み、ここにあった立根橋の復旧を最後に、復旧しました。復旧まで使用された仮設の橋の一部が保存されてます。
仮橋上の展望台から、御蔵島が霞んでいるが近くに見える。
展望台から、西側の海岸を眺める。新鼻新山は左上に頭を少し出している。

大路池

大路池の手前にあるアカコッコ館に立ち寄り、2000年噴火の記録ビデオを解説付で見せてもらった。館内に展示されていたアカコッコの写真をコピー。
大路池への遊歩道途中には、アオノクマタケランというランの花が群生していた。アカコッコは探しても見つからないが、ウグイスを含めた多くの野鳥のさえずりが森の中に響き渡っていた。
南桟橋から。
大路池は、約2500年前にマグマ水蒸気爆発したマールに水が溜まってできた伊豆諸島最大の淡水湖。西側の火口壁に爆裂火口の跡が見える。
湖の周囲は、スダジイなどの照葉樹の極相林が茂り、三宅島では古い植生。
広角12mmレンズでも収まらない。
湖の北西部にある迷子椎(スダジイの巨木)
ガクアジサイは伊豆諸島の固有種で、島のどこでも見られるが、大路池が一番といわれたが、それほど群生していなかった。全島この固有種がまんべんなく広がる。

八重間マール

都立三宅高校は水蒸気爆発でできたマールの中に建つ。背後にある切り立った崖は、マールの爆裂火口壁。

長太郎池

長太郎池は約2500年前に海岸に流出した溶岩流の上にできた溶岩じわの凹地にできた潮だまりです。
夏には天然のプールとしてにぎわうでしょう。
長太郎池の西にある崖には、上の溶岩流の高熱で酸化した下の地層が赤く変色しています。
左上の大きな海食崖には、過去数千年の噴火の歴史が読み取れるそうです。上部層はスコリア・火山灰層。その下に、溶岩流と二次堆積物。下部にベースサージ堆積物・アンチデューン構造?爆発角礫岩が堆積しています。

沖原海岸

2500年以上前の噴火で流れ下ってきた溶岩流に溶岩じわができ、海岸線と平行に起伏のある形状となっています。
四阿で日よけして、島ノリ弁当を食べた。近くにハマカンゾウが咲いている。

ベンケ根

三宅島空港の東側の海岸は、500年ほど前の溶岩流で作られた。
伊豆半島の城ケ崎海岸によく似た風景が広がる。
スコリアラフトのような岩塊。
ベンケ根から、雄山を眺める。下部に白い幹をさらしている立ち枯れ木が見えるが、周囲は植生が復旧しつつある。

クラマ根

三池港はここにあったクラマ根と呼ばれる岩礁地帯を削って作られた。溶岩流の一部は当時の面影を残すように保存されている。
反対側から見ると、太い柱状節理が見える。

三池浜

黒い砂浜の三池浜は、1000年以上前のマグマ水蒸気爆発でできたマールの残骸。
三池港に寄港するさるびあ丸。八丈島から来たのだろう。

サタドー岬

サタドー岬の南側の駐車スペースから、眺めるサタドー岬
灯台への道はゲートで閉ざされている。
岬の先端部から、南側の海食崖を眺める。太い柱状節理の上を、クリンカーが覆う。
さるびあ丸が東京港に向かい出航。ハマカンゾウガクアジサイが見送る。
岬先端から、灯台を眺める。
先端から、北を眺めると。ひょうたん山がみえる。
岬の溶岩崖上に、クリンカーの無い溶岩流の塊が見える。
灯台下には、東大地震研が設置した観測機器?がコンクリートで守られている。
帰りの船から、サタドー岬が見えた。

三七山

都道沿いの駐車場から三七山が近くに見える。1962年に噴火した割れ目噴火火口のひとつのスコリア丘。
看板下に置かれている大きな火山弾
三七山の山頂に登る途中、赤・黒のスコリアに、火山弾が降下している。
スコリア丘には、ハチジョウイタドリやハチジョウススキなどのパイオニア植物が進出している。
三七山頂上から、北のひょたん山を見下ろす。

ひょうたん山

ついでに隣のひょうたん山にも登る。以前は、海側にもう一つの火口があり、横から見るとひょうたんを伏せた形に見えたそうです。
ひょうたん山は、1940年に噴火したスコリア丘。
噴火口は、南向きに開いている。
大きな火山弾
強風で飛ばされる危険があるので、火口一周は断念した。
帰路のさるびあ丸から、ひょうたん山が見えた。

赤場暁

1940年と1962年に、山腹割れ目噴火で流れ下った溶岩流は、当時の赤場湾に流れ込み、広大な溶岩原を造った。崖は噴火前は、波打ち際の海食崖だった。当時の道はこの崖上を通っていた。
赤場暁は溶岩に覆われていたため、長く植物の進出を阻んでいました。2000年噴火では、10cm以上の火山灰が積もって、その後の泥流や土石流が溶岩の上を覆いました。植物にとって大切な水分やミネラル分が供給されたため、草本類と樹木の進出が一気に進んでいます。

椎取神社

1940年の噴火前、神社左側には、天然の良港があった。事代主命が三宅島に渡られたとき、この地に第一歩を記したと伝わる。
神社には、事代主命の他に、佐伎多麻比咩命が祀られている。
本殿の更に奥に磐座がある。
その先のオーバーハングした溶岩崖の下に、ふたつの木祠があり、これが本殿とされる。
古い椎取神社は、新しい拝殿の左にある。鳥居は、2000年の火山活動の後に発生した泥流に埋まっている。
鳥居の先には、古い本殿が半分埋まっている。

釜の尻海岸

都道の駐車スポットから、鎌の尻海岸が見えた。余裕が無いので上からの撮影のみ。
西側の岩礁

火の山峠

1940年と1962年の噴火では緑に覆われた原生林を一夜にして焼き尽くした。溶岩は、谷間を海岸まで埋め尽くした。

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