牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

韮山城跡 踏査 & 3Dモデル

山城の踏査の続きとして、伊豆の国市韮山城跡を踏査した。
今日は単焦点の超広角レンズ一本の慣らし運転。
地名は判明しているものと推定されているものが混在している。時代によって、韮山城の存在意義は変化しており、異なる時代の地名が混在しているので、韮山城の縄張りの理解には注意が必要。

韮山城跡・龍城山

韮山城跡(龍城山)を東から眺める。(画角が広すぎたので、トリムした。)
韮山高校の正門付近の小字が[大手]であるらしい。江戸時代に韮山城の大手口(二ノ丸門?)が設けられた可能性がある。それ以前は、龍城山への東側の登山道に続く山木や江川邸付近に大手があったと推測する考えもある。
韮山高校の校舎付近の小字が”御座敷”と呼ばれていた。武家屋敷があったと推測されている。
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韮高の駐車場あたりから、三ノ丸の微高地が見える。
入口が開いていたので、三ノ丸を撮影した。今はテニスコートになっている。
登山口に向かう道の山側は窪地になっている。かつての堀の跡か?
山城の東には、広い城池がある。韮山城の外堀を利用して作った農業用の溜池が整備されて公園の一部になっている。
龍城山の登山道は桝形の虎口を登る。
登山道の上り始めに現れるのが三ノ丸。
三ノ丸を過ぎると、登山道は南に向きを変える。50mほどで土塁に囲まれた権現曲輪の鳥居が現れる。
権現曲輪の微高地には、熊野神社が祀られている。
権現曲輪の広場
権現曲輪の北端から三ノ丸が見える。
権現曲輪の南には、堀切2が二ノ丸と仕切る。
堀切を過ぎると、土塁に囲まれた二ノ丸が現れる。
土塁の南の切り口は、本丸に続く。
二ノ丸北のこのあたりに、井戸跡があったようだ。
二ノ丸からの尾根道は、堀切1により本丸と仕切られる。堀切の両側は険しい崖になる。
いよいよ本丸に登る。
本丸は龍城山の山頂に位置する広場だ。
本丸から西には、静浦山地が見える。
木で邪魔されているが、北には富士山が見えるはずだが、雲に隠れている。
尾根道はもう少し南に延びている。
尾根の最南端には、塩蔵または焔硝(火薬)庫があったと考えられている。
南端から伝・塩蔵跡をふり返る。
下山して、龍城山の南東に伸びる尾根からの侵入を妨げる三つの堀切を探す。堀切3の左側に尾根が伸びるが、急峻な崖で登れるものではない。
堀切4
南の天ヶ岳に続く尾根は堀切5で断ち切られている。
龍城山の南西端にある竪堀1はこのあたりにあると考えられる。

土手和田砦

天ヶ岳の西尾根の末端に造られた土手和田砦への登山道は、私有地で立入禁止となっていた。南の和田島から見上げる。左の小さなピークが土手和田砦のあるピーク。
土手和田砦の麓に見つけた石蔵

伝・和田島砦

和田島の洞に、若宮八幡神社の参道を見つけた。途中急傾斜の車道となるが、突き詰めると微高地に、八幡神社の鳥居があった。
八幡神社の境内に和田島砦(?)だったが、今では樹木に遮られて、見晴らしは無い。砦としての遺構が無く、今では砦としては認められていない。
真如付近から、伝・和田島砦のピーク(左)を見上げる。

付城

秀吉の小田原城攻めの際に、韮山城の周囲に付城を築いて包囲する城攻めをした。左下がりの稜線はいくつかの山が重なっている。手前に昌渓院付城跡、奥に上山田付城跡があったピークが見えている。いずれも、私有地で登山道は見当たらない。
右寄りのピークが昌渓院付城跡
右寄りのピークが、上山田付城跡。
江川邸の裏山が江川砦跡らしい。

韮山城跡の3Dモデル

VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 富士山南東部・伊豆東部 点群データのLPデータ オリジナル・グラウンドデータ(las. 50cmメッシュ)とオルソ画像を利用して、QGISで地形図を作成し、qgis2three.jsで3D地形図を作成しました

3Dモデルはこちらのリンクから

おまけ

昌渓院手前の不動尊の右に、とても大きな石が転がっていた。
昌渓院の参道入口には、円通石と呼ばれる大石がある。
本立寺近くの民家の小屋が春めいている。

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