まだ鼻風邪は残るが、身体慣らしに熱海の七湯を巡ってみた。
河原湯
海岸に一番近い河原湯。このあたりは東浜といい、石がゴロゴロした河原だった。温泉が絶えず豊富に湧き出て村人の入浴場でした。熱海村の農民や漁師や近郷の人たちが自由に入浴できたのは、この河原湯だけでした。[看板より抜粋]
寛文六年に、屋根を瓦葺としたために、[瓦湯]と称したともいわれます。
佐次郎の湯(目の湯)
佐次郎という者の邸内にあったところから、[佐次郎の湯]と言われました。
この湯は火傷にも良いが眼病にもよく効くといわれ、別名を[目の湯]ともいいます。
大湯
大湯の左側にある電話ボックスは、日本で最初の市外通話が東京と熱海の間に電話回線が敷かれたことを記念して、東京京橋に設置されていた日本初の電話ボックスを模して復元されたもの。
湯前神社左手にある日航亭は、建物の老朽化に伴い、11月に営業終了してしまった。
小沢の湯
沢口弥左衛門・藤井文次郎・米倉三左衛門の庭の湯を[平左衛門の湯]と称していました。また、小沢にあったので、[小沢の湯]とも称しました。
人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。
野中の湯
野中山の麓にあたるこのあたりを野中といいます。この辺一帯には、泥の中に湯がぶくぶく噴いて、杖で突くと湧き出したそうです。
熱い噴気が噴出しています。
明治29年に熱海-小田原間に開通した日本最初の人車鉄道の記念碑
清左衛門の湯
清左衛門という農民が馬に走られて、この湯壺に落ちて焼け死んだので、この名前が付いたといわれます。
明治までは、昼夜常に湧き出て絶えることが無かったそうです。
温泉手前の坪庭には、温泉井戸掘削時に、地下200m~300mから出土した温泉コアが展示されています。
風呂の湯・水の湯
昔の坂町高砂屋の庭から湧き出ていました。この湯は外傷に良いといわれ、湯気の上騰か盛んで饅頭を蒸したり酒を温めて販売していたそうだそうです。
風呂の湯の傍ら1.5mほど東のところに、塩分の少ない温泉が湧いていて、[水の湯]と称されていました。