牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

西浦・内浦 船からの巡検

西浦の平沢マリンセンター発のジオクルーズ企画検討を目的に、赤根崎・長井崎・長浜城址・淡島などを巡るコースについての巡検に参加した。

平沢からの富士山と愛鷹山(ピークが位牌岳で、左のなだらかなピークが愛鷹山・奥に越前岳、その左が大岳)
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赤崎と長井崎の間の波静かな湾に設けられた養殖場(マアジ、シマアジ真鯛、サバなど)を訪問
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脱サラして養殖業を継いだ漁業家に苦労話などを聞いた。なぜこの地で養殖するのか、養殖の手順など、間近で聞くことが観光客にはいい体験となると感じた。
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自動給餌器で餌をやることもできるが、魚影を確認しながら手播きによる給餌も大事であること、鵜などの海鳥の被害など多岐にわたる話はここでしか聞くことができない。コロナ禍で出荷調整も強いられており、今は耐え忍んでいる状況とのこと。
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木負のスカンディナビア号があった場所に、島の神様が祀られている。
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長浜城址のある高台から東側が白浜層群で、背後の長井崎より西が達磨火山
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淡島に接近する。白浜層群の火山の根(安山岩火山岩頚)に相当する。
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獅子岩は、遊歩道の上の崖が波蝕されたノッチになっていて、内部は塩類風化されている。波蝕窪が海面より上にある原因は、①縄文海進で海水面が今より高かった、②海水面より隆起した(伊豆半島西海岸は沈降傾向であるが、江の浦地区では隆起)、の2説がある
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火山岩頚(安山岩)の下部の海水面には、貫入された凝灰岩のような地層も見える。
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タフォニーの空洞に、作者不詳のイエスタデーという詩が刻まれた石板が納められている。
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扇岩は柱状節理が末広がりしている。
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沼津の海岸沿いは旧海軍が海防の拠点に利用した。淡島に残る桟橋も海軍桟橋と呼ばれている。桟橋を支える橋脚が独特なのは、魚雷の発射実験をしやすくするためらしい。
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リゾートホテル北の灯台のある小岬の露頭
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船からは見つからなかったが、以前に遊歩道から撮影した矢穴のある石(凝灰岩だろう)
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淡島からは、平沢まで波を蹴立てて戻る。鷲頭山と大平山が見える。
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長井崎を北から見る。
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長井崎を北西から見ると、達磨火山からの緩斜面が長く伸びていることが分かる。
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赤崎と達磨山
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亀島の上部は、人工的に石を積んだものだが、周囲の海底には転石が広がるので、達磨火山の溶岩流の一部では?
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珍野 熊野神社の石造物

熊野神社に別の道祖神があるとの情報で、帰りに立ち寄った。境内左手に、石祠があり、風化した凝灰岩の石造物が祀られている。伊豆型道祖神にも見えないことは無いが、断定できる材料・資料がない。
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神社碑前の左手にあるのは間違いなく伊豆型道祖神であるが。
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