牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

座学: 仏像入門#5

午前中は、前回作文した薬師如来十二神将のテキストによる練習です。せっかく暗記したのに、時間切れで順番が来なくて残念でした。午後からは、阿弥陀如来三尊像の座学とテキストの作成演習でした。

  • 阿弥陀如来三蔵像の草稿(784文字で、3分ていどでした。)

このエリアでは、国指定重要文化財である阿弥陀坐像と脇侍立像を展示しています。

薬師如来が、貧しい人や弱者を病や災難から救う現世利益で信仰を集めたことに対して、阿弥陀如来末法思想が広がった平安時代後期に、誰でも平等に極楽浄土で往生できるという後世利益で民衆だけでなく貴族や武士たちの信仰を集めました。阿弥陀如来は、この世のはるか西の【西方極楽浄土】にいて、【南無阿弥陀仏】の念仏を唱える者を、臨終の際に極楽浄土から菩薩たちと共に、迎えに来ると信じられていました。脇侍として、如来から向かって右に勢至菩薩、左に観音菩薩を伴います。勢至菩薩は、大いなる知恵で、人々の迷いを取り除いてくれます。観音菩薩は、人々の願いを聞き、観て、苦難から救ってくれます。

この阿弥陀如来三蔵像は、北条時政石橋山の戦いで死んだ息子・宗時の慰霊のために、桑原に墳墓堂を建立して、慶派の仏師・実慶に造らせたと考えられます。吾妻鏡には、時政が菩提を弔うために、1202年に訪れたとの記述があります。

この阿弥陀如来坐像は、檜の一木割矧造りで、内部の木の芯をくりぬいて乾燥による干割れを防ぎ、重量を軽減しています。鎌倉時代初期の運慶・快慶に代表される慶派の特徴である、①鎌倉武士が好んだはつらつとした作風、②くりぬいた頭部の内側から水晶でできた玉眼をはめて、生き生きとした眼、③底部もくりぬいた上げ底式、などで表現されています。阿弥陀如来坐像の首の裏面に、【大仏師・実慶】と、両脇侍像の内面には、【仏師・実慶】と書かれています。阿弥陀如来が結跏趺坐の姿で坐っている蓮華座は、鎌倉時代初頭の蓮華座の特徴を最もよく表す模範となる作品として評価されています。阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財に指定されています。後世に阿弥陀如来の顔面が彫り直されていますが、彫り直しが無ければ国宝であったと高く評価されています。


函南仏の里美術館のホームページが出来ました。

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