畠山国清が鎌倉公方・足利基氏を迎え撃つために、急いで築いたといわれる金山城に二説あるが、今日は小室の棒石山を踏査してみた。
小室の東北側からの棒石山(標高120m, 小室の城山・石とり山とも云われる)
小室の東南側からの棒石山。東向き斜面に柱状節理の絶壁が露頭する。
棒石山の北の道沿いに露頭する凝灰岩の崖に、虚空蔵菩薩の摩崖仏が彫られています。子授けの地蔵として、今でも信仰を集めています。
洞の途中に、石丁場跡
洞は途中から細くなり、両側は急斜面のV字谷となる。洞を浸食した沢を遡上していくと、源頭に達して、その先に分岐があるの鞍部が見えてきた。
十字路の分岐
分岐から東向きに、棒石山の尾根に取りつく踏み跡が現れる。
三番目の帯曲輪?
山頂が見えてきた。
棒石山の頂部。ここが曲輪の跡のようだが、土塁は見当たらない。代わりに、通過してきた帯曲輪がある。
山頂は樹木が成長して、展望は良くない。樹間から城山が見える。
吶喊峰の頂部。
下りは、南東に伸びるやせ尾根を下ってみた。もう少しで道路という崖上から行けなくなり、大幅に戻ってにツノ洞に抜け出ることができた。
山城としての構造物は少ないが、水源となる沢があり、食料の補給も、城山よりは楽なので、こちらが金山城の可能性は高いと考える。
3D-金山城跡-2
VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 富士山南東部・伊豆東部 点群データの LPデータ オリジナル・グラウンドデータとオルソ画像データを利用して、QGISで加工 qgis2threejsで3D地形図を作成