牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

山中城址

伊豆半島の山城の踏査を進めていくなかで、山中城址を山城の観点からの写真が少ないことが判明した。しばらく雨予報なので、踏査に出かけた。

岱崎出丸

初めに、箱根旧海道の石畳みを横切って、岱崎出丸から入城する。
岱崎出丸の北東側から出丸本体を見上げる。排水を考慮して、傾斜がついている。
御馬場曲輪は岱崎出丸最大の曲輪
御馬場堀が、右手の御馬場曲輪と左手の岱崎曲輪を仕切る。
岱崎出丸
御馬場北堀は未調査であり、溝は堀の位置を示しているようだ。
すりばち曲輪の底から北側を見る。すりばち曲輪は、岱崎出丸の最先端を防御する大事な曲輪
すりばち曲輪見張り台から、すりばち曲輪を見下ろす。
土塁上に造られたすりばち曲輪見張り台から一ノ堀の先に、三島沼津方面から韮山城まで望見できる。
一ノ堀は、西側の空堀まで続く。
岱崎出丸の南西端には、武者溜まりがある。
岱崎出丸西の石畳みにつながる出丸橋(北条橋)は岱崎出丸の北堀を渡る。

三ノ丸~西櫓

三ノ丸跡に、公民館と宗閑寺が建つ。
宗閑寺は、山中城守備軍副将間宮康俊の娘が亡き父を弔うために創建しました。
宗閑寺境内に、豊臣方の一柳直末(右)と北條方の間宮康俊(左)の墓が並ぶ。
修復中の三ノ丸堀の上を畝が伸びる。西側の堀は空堀
三ノ丸堀沿いの虎口は、芝切地蔵の高台からの攻撃を受ける。
田尻の池からの排水路沿いでは、三か所ほど発掘調査が進められている。
三ノ丸堀の畝の東側の堀には、田尻の池からの排水路が流れる。
山中の湿地帯を土塁で区切り、貯水池にした田尻の池は、馬の飲み水、他に使われた。田尻の池からあふれた水は、三ノ丸堀に流れていた。
箱井戸は湧水地を土塁で囲んで、田尻の池と分離して、城兵の飲み水としていた。
田尻の池から西ノ丸への登城口
元西櫓下の堀
西之丸下の土橋に相当する小道
西櫓(左手)と西ノ丸(右手)の間の障子堀
西からの関所として西木戸が設けられていた。
西木戸の上の平場にある帯曲輪が西櫓を防御する。
帯曲輪(左手)と西櫓(右手)の間の畝堀
反対から畝堀を見る。(左手が西櫓、右手が帯曲輪)
西ノ丸(左手)と西櫓(右手)の間の西ノ丸堀(障子堀の変形)には、架け橋の跡がある。
土塁に囲われた西櫓の北東端に櫓台。西櫓は、北條流独特の角馬出の目的があった。
西櫓の片隅に、復元された掘立柱建物跡には、物置があったと考えられている。
西櫓の櫓台から西方の展望
西櫓から西ノ丸

西ノ丸~本丸~北ノ丸

西ノ丸
西ノ丸の土塁と見張り台
西ノ丸の見張台
西ノ丸見張り台から西ノ丸全景
西ノ丸(手前)と西櫓(奥)は深い障子堀で妨げている。
西ノ丸は東に傾斜させて、水はけを良くしている。
西ノ丸から虎口を見下ろす。
元西櫓山中城の曲輪は三方に土塁を積んだコの字形が多い。
元西櫓(左手)と二ノ丸(右手)をつなぐ架け橋
二ノ丸(北条丸)に登る虎口
二ノ丸の見張り台
二ノ丸の見張り台から元西櫓
二ノ丸の西側の見張り台から二ノ丸
二ノ丸の東北角に、もうひとつの見張り台
二ノ丸の見張り台から、本丸西堀(左手-本丸、右手-二ノ丸)
本丸は、三段に分かれている。
本丸の最上段に広間を配していた。本丸の北には、大きな土塁が護っている。
本丸の最下段には、兵糧庫跡(復元)と
もうひとつの兵糧庫跡(弾薬庫?)の柱列が残る。
山中城址の最高地点に盛り土で天守櫓が設けられていた。
天守櫓から本丸を見下ろす。
本丸と北ノ丸の架け橋
北ノ丸
北ノ丸堀
天守櫓近くに聳える”矢立の杉” 出陣の際に杉な矢を射立てて勝敗を占ったとされる。

おまけ 柴切地蔵

三ノ丸の南端に、芝切地蔵のお堂がある。
芝切地蔵境内の芝塚のある平場が南櫓か?
芝切地蔵の境内には、虫歯地蔵が祀られている。

3D 山中城

VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 富士山南東部・伊豆東部 点群データの LPデータ オリジナル・グラウンドデータとオルソ画像データを利用して、QGISで加工 qgis2threejsで3D地形図を作成

[3D地形図はこちらから](https://kannami13.sakura.ne.jp/3D/yamanakajo/)

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