牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

長浜城跡

内浦の長浜城跡を踏査した。4月並みの暖かさに、上着を一枚脱いだ。

大手(?)はどこ?

戦国時代には、長浜城は現在の道路がある陸地と接しているだけで、現在のトイレや駐車場付近は、かつては海だった。
水軍の城だったので、現在の登城入口も海に面していたのだろうか?
西南に残る田久留輪も海に面していたのか? 広場には、安宅船が原寸大で復元されている。
陰野川には、堤防と見られる石積みがあったようなので、船着き場があったのかも? 川床で見つかった石積みが再現されている。

西側の曲輪

田久留輪口から城に登る小さな曲輪K近くから、田久曲輪の安宅船復元を見下ろす。
第一曲輪直下の帯曲輪Kはやぶに覆われて、判然としない。
第一曲輪と第二曲輪の間の堀切の下には、やぶに覆われた竪堀があるが、かつてはもっと深かったそうだ。
第一曲輪 北下部にある曲輪J付近も判然としない。

北側の曲輪

北東に伸びる細長い尾根には、腰曲輪A,B,C,Dが段々に設けられている。第一曲輪の下に、前下がりの曲輪Aがある。
曲輪Aから曲輪Bを見下ろす。三枚橋城が見えるか?
曲輪Aからの北の見張り
曲輪Aから第一曲輪を見上げる。
曲輪B
曲輪Bから曲輪Cを見下ろす。
曲輪Cから上段を見上げる。
曲輪C
曲輪Cから上段を見上げる。
曲輪Cから下段を見下ろす。見えている岩礁の手前に曲輪Dがあるはずだが、判然としない。
曲輪D付近
北東角の岩礁。戦国時代の水軍の船も、ここに停泊していたと考えられる。
岩礁先端の西側
岩礁先端の東側。いずれも、陸からの攻撃はできない。
第一曲輪手前の小さな曲輪I

第一曲輪

本丸に相当する第一曲輪が長浜城の最高点に位置する。奥にL字形の土塁が見える。
復元された柱列は、塀と門に相当するらしい。
第一曲輪からの展望。三枚橋城方面の動きを見渡せる。
第一曲輪と第二曲輪の間を区切る堀切が復元されている。凝灰岩を掘削して堀切をつくった。

第二曲輪

第二曲輪と建物の柱列が復元されている。斃死ゃ食糧庫などが設けられていたと考えられている。
第二曲輪の土塁

第三曲輪

第二曲輪と第三曲輪の間の堀切Ⅲ(虎口)
小さな第三曲輪は、重須側から攻めてくる敵を撃退する目的がある。
第三曲輪の北側斜面に曲輪Eらしきやぶがある。

第四曲輪

第三曲輪と第四曲輪の間の堀切Ⅳ
小さな第四曲輪も重須側から攻めてくる敵を撃退する役目があった。

長浜城跡の3Dモデル

VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 富士山南東部・伊豆東部 点群データのLPデータ オリジナル・グラウンドデータ(las. 50cmメッシュ)とオルソ画像を利用して、QGISで地形図を作成し、qgis2three.jsで3D地形図を作成しました

3Dモデルはこちらのリンクから

麓のマリーナから、奥駿河湾を望む。

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