牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

三嶋大社 「三嶋の神のモノガタリ」ウォーク

美伊豆主催の[三嶋の神のモノガタリ]を歩いて知るジオカフェ@三嶋大社編に参加した。国学院大学の先生より、三島の地で三島明神がどう受け入れられたのかを傾聴した。一連の知見により、伊豆諸島の火山神であった三嶋大明神との関係が整理された。

七五三や結婚式でにぎわう三嶋大社の大鳥居からスタート
三嶋大明神は、三宅島から白浜を経由して、下田街道沿いに遷座して、この地に落ち着いた。

神池などの神社形式は、平安時代に整えられ始めて、鎌倉時代に完成したものであろう。
三嶋大社の鎮座する台地は御殿場泥流の高台になるので、水源は北の大場川から神池専用の用水路を引いている。

神門前で説明を聞く。伊豆諸島での噴火活動を鎮める目的で、三島明神と後后のイコナヒメノミコトは、白浜に遷座された。そのことを神津島の本后が怒って、噴火したので、朝廷は、三島明神を大明神に格上するとともに、当時の国府があった現在地に遷座した。頼朝が旗揚げ・富士川の戦いに勝利したことをから崇敬したことから、武家の守り神として一段と崇敬されるようになった。
平安時代に国内各地では国・郡・郷など一定地域内にある神社の祭神を総社1ヵ所に勧請して祀った。その頃、伊豆には三嶋大社が南から遷座してきたので、総社は設けられなかった。神社の名称からその土地を”三島”と名付けた。

祓所神社(浦島さん)の池の水は、桜川から引いているのだろう。mL
白滝公園の湧水

楽寿園の小浜池の紅葉(池の水位は、32cm)
小浜池の浮島にある広瀨神社(四ノ宮神社) 三嶋大社を総社にしなかったのて、楽寿園の自然地形を生かして、大仁の広瀬神社を分祀した。

早の瀬
小浜池の周囲の樹々が少し色づいてきた。

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