牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

大仁金山&博打洞

中伊豆北エリアの取材の続きを、地元ジオガイドさんと地元の研究家に案内してもらい、大仁金山にでかけました。

  • 大仁金山跡

百笑いの湯駐車場から見上げる鉱山跡上から2段目の工場跡には入れます


2段目からの展望ボールミルという精錬の機械


金山の左横の洞には、いくつかの史跡が樹木に埋もれかけています。山神社は元々、鉱山とは無関係にあったようです大久保石見守(長安)の顕彰碑の下には、江戸時代の坑口が埋もれている(湯ヶ島層群)


山神社の脇の祠(山神社の石段は崩れていて、草木で覆われている)精錬工場や事務所の在った平地(ズリで埋め立てられた)


昭和の坑口(今では、地震観測に用いられている)掘削した鉱石を精錬所に上げるためのトロッコが登った急こう配の坂にはレールが残る(鎌で草刈りしてもらいました)



  • 博打洞

伊豆新聞に出ていた博打洞と呼ばれる大岩を、探し当てました。元地主の研究家と3人で、あてずっぽうで行きました。たまたま、飛び込んだ家の人が洞の位置を教えてもらえ、その洞の所有者が車で帰ってきたところに出合い、方向を教えてもらいました。その人は、以前にジオパークの座学に参加した方で、親切に教えていただきました。山の中を駆けずり回らなくて済んで、ラッキーでした。

転石が点在するケモノ道を登っていくと、大岩が行く手を塞ぎ、ようやく探し当てました上から転がってきた大岩が、両側の石に支えられて止まったようだ(凝灰角礫岩)


元々は、笠石山洞穴遺跡という古墳時代の墓跡らしいが、その後ここで博打をしたらしく、博打洞と呼ばれる。中は八畳ほどの広さ(古墳の発掘調査をしたので、内部の土を取り除いて高くなったそうだ右手の石には、何やら文字しきものが刻まれている



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