牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

三島南部の道祖神と石造物探し (be aware of heavy pictures)

週末に雨予報が出ているので、晴れの祝日に三島南部の道祖神を探し回りました。愛馬ロシナンテ48とNike26で順調に探索ができた。
都市化が進んでいる市街地の道祖神は、移動されていたり、目印となる建造物が撤去されたりしているので、探すのに苦労するが、見つけた時はうれしくなる。

小山公民館前の石造物の中に三角錐の自然石の道祖神があるということだが>>かなり風化した二つの石があるのみ(左がそれか?)


日の出町 妙行寺近くには新しい双体道祖神が祀られる

川原が谷の今井坂にある道祖神は、探し回ったが見当たらない
言い成り地蔵尊境内に四体(右)の伊豆型の道祖神(笏か中啓を持つ)が、お地蔵さんの格好をされている桜川の橋に使われた石


大社西側の道祖神は見当たらなかった。玉垣には、三島石(新富士火山の溶岩)と御殿場泥流の転石(古富士火山由来)が使われている桜川の川岸に飛び出ている[米とぎ石]大社の神官が米を研いだ場所


心経寺の鐘撞き堂の石積みには、ステッチのように面取りされた三島石が使われている心経寺山門前のブロックにはめ込まれた伊豆型の道祖神 持っているのは、笏でも中啓でもない。折りたたんだ帳面か?


広小路駅近くの伊豆国分寺に残る旧国分寺の8個の礎石は、御殿場泥流の転石と言われている伊豆国分寺の境内に集められた伊豆型の道祖神四体


三ツ石神社近くのイズッパコの線路下に新しい双体道祖神が祀られているが、なぜか?源兵衛川を渡る石橋の石は玄武岩の三島石


青木の観音堂横にある石造物の中に、道祖神と刻まれた自然石(道祖神の文字は後から刻まれたものだろう)鶴食の公民館近くの道祖神と言われるが、宝篋印塔の上に目鼻を刻んだ石ころをくっつけたようだ


通りかかった周福寺は手入れされたお庭に、白梅がほころぶ寛政八年の百体観音が大切に守られているのは立派


新谷の民家の前に道祖神の文字碑が建ち、その右の像は半身だけ見えている地蔵尊か?上松本の伊豆型の道祖神


平田の道祖神(坐像・浮き彫り)は珍しい形。像の上に道祖神と刻んであるのも珍しい隣に水神明王の文字碑があるのでなぜかと思ったら、手前に結界で護られた井戸があった


下松本の伊豆型の道祖神二体

左の像は、足を崩しているように見える?

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