友達に案内してもらい、関ヶ原合戦の史跡を歩いて感じました。以前に司馬遼太郎の[関ヶ原]を読んでいて、今回は事前に酒井忠勝の[関ヶ原合戦始末記・現代語訳]を参照しながら、廻ったので地理感がつかめた。
家康が最初に陣を置いた桃配山の中腹 | ここに床几を据えて、西軍の配陣をにらんだそうだが、今では木立や建物に隠れて展望は悪い。一進一退の戦況に苛立ち、陣を動かした |
南宮山に陣する西軍ににらみを利かせる山之内一豊の陣跡 | |
ここまでは離れているので、車で移動 東西両軍の兵力は、東軍およそ7万4千。西軍およそ8万2千と伝えられる。 | |
歴史民俗資料館近くにある家康最後の陣跡からウォーキング開始。 ここで首実検した | 東軍・田中吉政の陣跡 手負いとなった松平隊のあとを引き受けて的中突破 |
東軍・細川忠興の陣跡 妻ガラシャの死により、西軍に強いうらみを抱いていた | 東軍の烽火場跡 黒田長政と竹中重門が陣を置いた |
烽火場から、関ヶ原を一望できるが、笹尾山と桃配山は木々に隠れている | |
西軍の大将・石田三成が陣を置いた笹尾山の中腹 | 三成の陣跡から関ヶ原の布陣を眺める |
笹尾山の三成の陣 | 馬防柵で三成の陣を島左近が護る |
西軍の配色が濃くなって、三成の首を狙う東軍が突進して、激戦となった場所 | 西軍・島津義弘の陣跡(1500人) 東軍の的中突破して伊勢街道へ脱出するが、無事に帰国できたのは80人たらずという |
東軍・福島正則軍が先陣争いして開戦した場所と言われる | 西軍・小西行長の陣跡 |
西軍・宇喜多秀家陣跡 | 西軍・大谷吉継の墓 |
負け戦を予測しつつも、三成への義を貫いた大谷吉継の陣跡 西軍の最前線で福島・井伊・藤堂の各隊に包囲されたが、ひまずに督戦 | 吉継の陣から小早川秀家のこもる松尾山を望む。関ヶ原は、東海道線・中山道・新幹線・名神の幹線が通る、今も昔も天下分け目 |
小早川秀家のこもる松尾山の麓には、西軍・脇坂安治が陣を張ったが、東軍に寝返る | 松尾山の山頂近くにこもる西軍・小早川秀家は、家康から鉄砲を撃ち込まれ、西軍を裏切り、東軍の勝利に導いた |
標高293mの松尾山から関ヶ原を望む | 松尾山から降りると、東軍の最前線・福島正則の陣跡に着く |
] | |
中学校敷地にある藤堂高虎・京極高知の陣跡 東軍の第二陣 | 中山道沿いの西首塚 千手観音と馬頭観音が安置される |
東軍・本多忠勝の陣跡 | 松平忠吉・井伊直政の陣跡 一つに固まって、西軍の宇喜多・島津の両隊に突撃して乱闘となった |
東首塚 東軍・西軍の戦死者が埋められている | |
これで関ヶ原合戦の史跡を巡るウォーキングは完結 家康の知略・小早川の裏切り・三成の負け戦が際立った天下分け目の戦いであることが強く感じられた |