牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

城ケ島 巡検

三浦半島の先端にある城ケ島に初上陸して、砂泥互層の展覧会!を観てきました。在職中の休日にコツコツと三浦半島を半周して、横浜から三崎までたどり着いていたが、退職後の方が忙しくなり、今まで中断。城ケ島の海岸線を一周して、縞々の地層を目に焼き付けてきた。

  • 亀の子島

亀の子島の崖に見られるコンボリュート(うずまき)葉理水が含まれていた地層で地震などで液状化を起こすと同時に複雑な模様ができた。水が上に抜ける時に、上向きの尖った形を示す。その後地層が逆転したと読み取るそうだ



  • 水っ垂れ

安房粼に続く磯場から砂泥互層の縞々地層が連続する約1000〜400万年前に水深約2000〜3000mの陸から遠い海底で土石流が堆積した火災質砂岩泥岩互層が主体の三浦層群が隆起して傾斜


不思議な構造 鉄分が強くて固いので浸食されずに残ったのか?水っ垂れの由来は、海食洞(人工?)の奥から絞れ水が海岸に注いでいることから。頼朝が飲用や硯の水に使用したという伝説が有る。ここに断層があり、ここを境に両側で地層の傾きが逆になるそうだが、確認できず。



灰色のシルト層と黒色のスコリア層の互層場所によって、縞々の要素が変わる



海鵜のフンの跡が白く光る崖は、三浦層群の上に関東ローム層が不整合で堆積(岩場が急で近寄れない)

かんじんのウミウは北に出稼ぎに行っていて、今はいないとのこと

  • 馬の背洞門

両側か海食されて小さなアーチがかろうじて残っている。大正関東地震で約1.5m隆起した。当然、上部には立ち入り禁止


洞門の凝灰質砂岩の中には、クロスラミナや偽礫(泥岩が土石流など゛削り取られて固まったもの)も見られる


  • 断層と海食洞

馬の背洞門の北西の崖の奥に隠れている断層断層を境に、左側はスコリア質の多い地層、右側は褐色の凝灰質砂岩と異なる。断層によって岩石が砕かれたため、谷地形となった



  • 長津呂粼

幾層にも堆積し、傾斜して隆起した砂泥互層が海食された棚が広がる。大きな褶曲構造が見られる立っている露頭では、級化層理の堆積順が分かる


堆積後、固まらないうちに断層に断ち切られたのか黒いスコリア層がスランプ褶曲のように見えるが、これはスコリア層に接する砂岩の一部の浸食残りでできた模様かも?


砂岩中に燃え上がるシルト岩の火炎構造。白い炎のような形をした層は、火山灰が固まった凝灰岩層で、オドリタフと呼ばれる。白い凝灰岩層が堆積した後に、上に積もったスコリア質砂岩の加重により、下の地層が巻き上げられたもの茶色の火炎構造?


白くて分かりにくいが、これも火炎構造みたい。漣痕にしては大きすぎる。コンボリュートラミナと呼ばれるものか?クロスラミナの小さなハンモック構造


砂岩表面に露出する生痕化石群火炎構造などを断ち切る断層


固いスコリア層に覆われた部分だけ浸食を免れた砂岩ここにもスランプ褶曲。上の黒い塊が原因か?



だだっ広い長津呂粼で、これらの地層を探すのは困難だが、だんだんコツをつかめてきた。海側よりも陸に近い場所で、他と色が違う切り立った垂直面を探すと良い

京急ホテル近くの岩場を結ぶ橋橋下の渚の奥には海食洞か?


ここにもスランプ褶曲がある。海底の斜面で土砂が流れ込むと一度堆積したものが不安定になり地すべりが起きて、あるていど固まった状態で滑って、層の状態を保ちながら曲がって変形したもの砂泥互層の高まり。いくつもの断層で切られている


楫の三郎山も海底から隆起した堆積物


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