牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

丹那断層についての考察

函南町ジオサイトの白眉である丹那断層について、考察してみた。

  • 久野教授の発見した断ち切られた谷(小山教授の『伊豆の大地の物語』から引用)

久野久東大教授は、丹那断層付近の多賀火山や湯河原火山の地質調査を行っている時に、丹那断層の両側の土地が南北に約1km食い違っていることを発見した。
冷川の支流が軽井沢の西で二つに枝分かれしているが(図のAとB)、どちらの谷も丹那断層の位置で途切れ、その東側に続かない。
久野教授は、軽井沢の北隣の田代盆地の東にある二本の谷(図のA’とB’)が東側の続きであると考えた。東側の二本の谷も丹那断層の西側には続いていない。
そこで、丹那断層が、その両側の土地を南北に1kmずらしたと考えれば、両者(AとA’、BとB’)はうまく接続するのである。


  • 断ち切られた谷の特定

地図ソフト[カシミール3D/山旅倶楽部]を用いて、冷川支流のAとB地点をプロット。
AとB地点から丹那断層沿いに、約1km北よりの東斜面の谷が二つ(A’とB’)見つかった。A’とB’からの延長線が断層線とぶつかるところでのAとB地点の距離を測定してみると、どちらも約1,1kmであった。おそらく久野教授はこの二つの谷のことを指しているのだろう。
近いうちに、これらの地点の実地検証に行きたい。



  • 丹那断層の生成の歴史

伊豆半島での火山活動の歴史(4000万年前から)と丹那断層・丹那盆地の成り立ちとの関係を年表に整理した。(画像をクリックして、更にギャラリーでオリジナルサイズにして、更に虫眼鏡で大きくして見てね)

    1. 伊豆半島が南の火山島だったころには、丹那地域も海底だった。
    2. 200〜100万年前に、伊豆半島が本州に衝突して、海底火山が隆起したころに、丹那地域も陸化が始まったのではないか?(qshiroの推測)
    3. 80〜30万年前に多賀火山が噴火して、その火山の西側斜面の位置に、丹那の土台が形成される。
    4. その後、うん十万年かけて、風雨と谷の浸食により、西側斜面に冷川の原型である谷ができる。
    5. 15万年以降から、伊豆半島の東部で火山群の活動が始まり、それに連動して丹那断層の活動が始まる。これ以降の断層ずれにより、久野教授の発見した約1kmの南北の横ずれが発生した物と推測される。
    6. 繰り返される断層ずれを伴う地震により、断層沿いに南北に谷ができ、その谷間を流れる渓谷の浸食と堆積により、丹那盆地と田代盆地が形成される。多賀火山も東側は波と風雨で大きく浸食され、今では玄岳が多賀火山の浸食後の最高峰になっている。尚、発掘調査によって、直近の8000年間に9回の断層ずれを伴う地震が発生したと推測されている。
    7. 1930年に、伊東群発地震に連動して、北伊豆地震が起き、丹那断層では2mていどの左横ずれ断層が生じた。



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