牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

熱海 中張窪石丁場跡

熱海市教育委員会生涯学習課主催の中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場跡の見学会に参加した。刻印の年代から、江戸城の築城用に採石されたと推測される。専門家の解説があると理解が進むのでありがたい。

羽柴右近の刻印石

標高372mの小山の中腹の急斜面に石丁場が展開する。最初の史跡説明版には、[羽柴右近の刻印石]とある。”柴”は草冠の異体字で刻まれている。羽柴右近は森忠政と考えられるそうだ。
十文字の矢穴が残る石

幅広の矢穴が残る。
小さい石は数少ない矢穴で割れたようだ。

有馬玄蕃の標識石

しばらくトラバースして、再び上りにかかるカーブに、[是よりにし 有馬玄蕃 石場 慶長十六年 七月二十一日]と刻まれた大きな標識石が立つ。
標識石の上の石丁場が、有馬玄蕃のものだろう。

有馬玄蕃の刻印石

標識石より90m上った尾根筋にある有馬玄蕃の石場には、薄いが[有馬玄蕃 石場 慶十六]と刻まれいるとのこと。
近くに刻印石の看板はあるが、ガイドが無いと見つからない。

石割工程が分かる石場

標高330mに広い石丁場があり、切残された石材から、石割の工程が推測できたそうだ。
刻印が残るが、誰のものか不明
○の中に”井”の字

石垣の築石と[慶長十九年]の刻印石

標高340mの石丁場の入口には、[慶長十九年]と刻まれた石が残る。
小口に”中”のような刻印がある石

こちらにも。
石丁場近くにある比較的緩やかな斜面から石材を滑り降ろしたか?

大きな矢穴列と鍛冶の道具

下りに別の道を辿って標高275mに広場が現れる。石材の近くで、ハサミ・フイゴ・鉄滓などが見つかったので、ここで石割に使う道具の焼き入れが行われたと推測されるそうだ。この石の矢穴は熱海市内では最大だそうだ。
こちらの石にも矢穴で割ろうとした痕跡があるが、諦めたようで。

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