熱海市教育委員会・生涯学習課主催の中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場跡の見学会に参加した。刻印の年代から、江戸城の築城用に採石されたと推測される。専門家の解説があると理解が進むのでありがたい。
羽柴右近の刻印石
幅広の矢穴が残る。
小さい石は数少ない矢穴で割れたようだ。
有馬玄蕃の標識石
しばらくトラバースして、再び上りにかかるカーブに、[是よりにし 有馬玄蕃 石場 慶長十六年 七月二十一日]と刻まれた大きな標識石が立つ。
標識石の上の石丁場が、有馬玄蕃のものだろう。
有馬玄蕃の刻印石
標識石より90m上った尾根筋にある有馬玄蕃の石場には、薄いが[有馬玄蕃 石場 慶十六]と刻まれいるとのこと。
近くに刻印石の看板はあるが、ガイドが無いと見つからない。
石割工程が分かる石場
標高330mに広い石丁場があり、切残された石材から、石割の工程が推測できたそうだ。
刻印が残るが、誰のものか不明
○の中に”井”の字
石垣の築石と[慶長十九年]の刻印石
標高340mの石丁場の入口には、[慶長十九年]と刻まれた石が残る。
小口に”中”のような刻印がある石
こちらにも。
石丁場近くにある比較的緩やかな斜面から石材を滑り降ろしたか?
大きな矢穴列と鍛冶の道具
下りに別の道を辿って標高275mに広場が現れる。石材の近くで、ハサミ・フイゴ・鉄滓などが見つかったので、ここで石割に使う道具の焼き入れが行われたと推測されるそうだ。この石の矢穴は熱海市内では最大だそうだ。
こちらの石にも矢穴で割ろうとした痕跡があるが、諦めたようで。