牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

西海岸の道祖神 追加調査

暑さにも少し慣れてきたので、午前中に土肥と井田の道祖神を探しに出かけた。

小下田から細い道を車で藤沢まで登る。三叉路の北側に4基の石造物が祀られている。左端の石祠が藤沢の道祖神(中に小さな伊豆型の道祖神が入っているようだ)
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八木沢の学圓坊というお堂の境内に壊れた稲荷神社がある。その手前に、屋根の右側が欠けた石祠がある。
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小土肥の清正神社左手の祠内に、5基の石造物が祀られている。小さな伊豆型の他にもうひとつあることになっているのだが、見つからなかった。
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井田の明神さんの祠の右手に、7基の石造物が集められている。後列-右端は馬頭観音で手前の板碑以外は道祖神
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裾野市の道祖神 追加調査 Final

裾野市道祖神に関する資料が新たに見つかった。少し猛暑がやわらぐ期待で、調査に出かけた。

長教寺入口の三叉路に、6基の石造物が祀られている。後列-左像が 西-1B(摩滅ひどい)
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後列-右像が 西-1A伊豆型(頭部欠損)
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水窪の三叉路近くの6基の石造物群の中に、西地区-2-伊豆型が夏草に隠れている。
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富沢公民館左手の石造物群の中に、西地区-7-単体を探すが、地蔵さんと観音菩薩ばかりで、道祖神は見当たらない。この像がもっとも道祖神に近いが?衣文の形が違う
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桃園橋近くの十字路の石造物群の中の左端が、西地区-8B-伊豆型となっているが、こんな怖い顔の道祖神はいない?
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下和田のT字路の西北角に、富岡-28-文字碑が祀られている。
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十里木の関所跡の石造物群と一緒に、須山-7-文字碑(猿田彦)が祀られている。ひびが入っているので心配だ。
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東地区-8-文字碑と富岡地区-20A-単体は場所が特定できない。

富士山麓の星景

久しぶりに富士山と星空が望める予報なので、それほど混雑していないと予測した富士宮方面に出かけた。

朝霧高原

萩平集会所のグランドは大沢崩れのほぼ正面となる好位置。夕日で少し赤ずく。 f:id:qshiro:20200816151326j:plain

暗くなるまで待ちきれずに、航海薄明からぐるぐるを撮影開始
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南には天の川が横たわる。
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白糸の滝

陣馬の滝と星空を撮影しようとしたが、暗すぎて滝が映らない。白糸の滝に移動する。
水量は減少したが、水しぶきはかなりある。滝を浮かび上がられるには月光が必要。
左の樹木を避けようとすると、広角レンズのひずみが強調されてしまう。 f:id:qshiro:20200816150503j:plain:w500

森林墓苑

登山者がいないので、人文字が無いこの夏
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暗闇を独り占め
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ジオツアー 楽寿園

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、楽寿園ジオサイトと歴史を再学習した。

駅前口の樹林には、いくつものフウランが着床している。
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中門先の小浜の森の北側は本覚寺の鬼門に位置し、七面堂があったとされる。
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小浜の森には七面堂への参道があり、植生は七面堂が廃されてから増えた若い常緑広葉樹の二次林
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深池は大きな溶岩トンネルの天井が崩落したものであるが、左横には小さな溶岩トンネルが見えて、その左には別の溶岩流上にできた縄状溶岩が見られる。
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深池にも湧き間がある。
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いこいの松手前の広場には、宝国院というお寺があった場所。ここのシイノキは楽寿園で一番古くて、約300年ほどだ。
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小浜池手前に二つの小さな縄状溶岩が見える。そのうえの小さな溶岩流の亀裂から流れてできた末端部にあたる
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小浜池の水位測定標識 ゴミを流していたので水位は少し下がって、頭(210cm)が見えている。
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水位は217cm(これ以上に増水すると小浜堤が歩けなくなるので堰板で調整している)
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鴨も気持ちよさそう
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広瀬神社(四宮)の御祭神はお稲荷さんで、清水町の灌漑用水を守る。伊豆一宮-三嶋大社、二宮-浅間神社、三宮-柳原神社、四宮-広瀬神社
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以前は、常盤の森から広瀬神社に渡るのに使われていた橋
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お茶水にも湧き間があるが、例年は渇水が続いていて遊水地だとは思っていなかった。
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ふたつの新堀川が交差する。上は、お茶水から樋口本陣への用水で、下は二宮浅間神社の湧水が源兵衛川に注ぐ
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東レからの冷却水は、主役を追われて寂しそう。
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以前は、本覚寺側に正門があり、ここを馬車道があった。
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中門の開削された溶岩流の右手には、採石の矢穴が残る。
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中門の溶岩流の断面 溶岩流の単層は約30cmで、何回も流れてきた。一番下部層が新しい溶岩流で、気孔は大きな泡に集合した。
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小浜の森の溶岩トンネル
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合体した4本の木の内、アラカシは切り倒された。
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筏場砂岩層を探して

暑くなる前にと、午前中に筏場の砂岩層の探索を続ける。

地質図上の筏場砂岩層に沿って歩く。姫之湯断層に再訪
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畑に代わった石が鎮座している。地元の方も何の石か分からない。
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上の畑には巨石。たたりが怖いので、そのままにしてあるとのこと
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蛇喰川沿いの林道を歩くと、露頭が現れる。
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上部に3200年前のカワゴ平のパミスが挟まる。
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下部層が砂泥混じりの地層。砂岩層ではない?
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林道沿いには、それらしい露頭は無いが、川には、泥岩が侵食されている。
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砂岩層は泥岩の下層にあると推定するが、ここではないだろう?
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牛歩的写真中心網録”