静岡県地学会三島支部主催のジオツアーで、三島宿に見られる石造物の石の産地を、古奈と江間で巡りました。真夏を思わせる炎天の下、日陰を伝い歩いて何とか無事に歩きとおしました。参加者はベテランの方が多くて、ジオガイド仲間の巡検とは異なる見方を垣間見れて、ためになるものでした。
源頼政の心を射止めたあやめ御前の供養塔 | 西林寺の本堂下には、褐色に変色した長岡凝灰岩上部層の石材が敷かれている |
- 湯谷神社
古奈温泉の発祥の地である湯谷神社付近には、江戸時代以前かに自然湧出泉があった。鳥居・石段などの石材は、長岡凝灰岩が多く用いられている | 鳥居の右には、源泉の跡が残る |
神社入り口にあった旅館が取り壊れさて、裏の石丁場が見えている | 神社右手奥にも別の石丁場跡が残る |
神社裏手には、板状節理が露頭 | |
- 古奈温泉通り
古奈温泉は古くから栄えたが、長岡温泉でも温泉が出てからは急速に人足が減った。今では、古い温泉場の雰囲気を残す貴重な場所となり、個性的な旅館で人気を取り戻しつつある。温泉街の通りに面した石塀に使われているのは、長岡凝灰岩の上部層と中部層 | 土蔵の腰壁にも、長岡凝灰岩の上部層が使われている |
高級旅館 三養荘の塀には、凝灰岩や凝灰角礫岩が使われているが、崩れかけている | 凝灰岩が熱水により、緑泥石化している |
旅館の通用口の凝灰岩の露頭。中をくりぬいて軽トラも通れる。 | 層理も明瞭 |
- 白坂山古墳
凝灰岩の大露頭の上部に、横穴墓がくりぬかれている | 凝灰岩の中には、火山弾と見られる溶岩が取り込まれている |
熱変成を受けて一部が褐色になった江の浦凝灰岩で作られた白石の家型石棺 | 三養荘前の足湯につかりながら、強い日差しを避けて昼食タイム。源泉は58℃(数百万年前に活動したマグマだまりの熱で今でも暖められている) |
- 狩野川放水路
先週の大雨で、放水路を開けたそうだ。けたたましいサイレンに近隣の人はおびえたとのこと | 放水路のおかげで、下流域に住む我々はいくどとなく助けられていることだろう |
- 北條寺
北条時政の次男義時夫妻の墓所(伝) | 境内に安置されている庚申塔(青面金剛明王の下部には、二鶏・三猿、上部には日月の輪と本格的) |
ロウバイの実は花に比べると大きい(冬にたくさん咲いた全ての花が実をつけるわけではなさそう) | |
- 地震動の擦痕
小学校跡は、公園に整備されているが、天然記念物の建屋はそのまま残されている(始めての参加者の中には、地層に地震動の擦痕があると思い込んでいる人もいた) | 陳列されていた魚雷に、北伊豆地震時の地震動が擦痕として残ったもの。(P波とS波の両方が記録されていると言われるが、腑に落ちない点がいくつかある) |
北江間の地域は、狩野川の自然堤防が造った水はけの良い台地に発達した。そういえば、道路が少し高くなっている。
- 八坂神社
四日町の八坂神社 | 石灯籠には長岡凝灰角礫岩(上部層)が使われている |
日守山と茶臼山の間の凹地は、正断層によるものと考える説があるとのこと。日守山周辺にのみ見られる日守凝灰岩層は、この断層により地表に姿を現したもの。