牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

伊豆の城郭を訪ねる

町こん伊東主催のジオツアー[伊豆の城郭を訪ねる]に参加しました。
?お城とジオパークの関係は?昔の城は、天然の地形を利用して、作られたものが多い。特に伊豆半島の場合は、ジオサイトの近くにあります。武将たちもジオの恵みを受けていたのでしょうか? (以下の説明の大半は、金子先生のパンフレットから引用しています)

伊勢新九郎長氏が、今川氏親家督相続に貢献した功績から、興国寺城の城主となり、その後の伊豆侵攻のベースとしたところ。愛鷹山の丘陵先端部にある。

本丸と後ろの土塁を下から天守から伊豆半島を窺う


天守跡に残る居館の礎石天守の背後の土塁は、大堀切が傾斜深く掘られている




後北条氏が、豊臣秀吉の大群を迎撃するために準備した山城で、北條流築城術の粋が見られる国指定の史跡。土台は箱根火山の火砕流・火山噴出物の堆積。

西ノ丸(今は広場)障子掘


畝堀宗閑寺のサザンカイチョウ




伊勢新九郎が、伊豆韮山の堀越御所を襲って陥落させたのを手始めに、伊豆侵攻を進めて、明応7年の巨大地震津波の被害で敵方が被害をこうむった機会を利して、伊豆を征服した。引き続き相模への侵攻を続けるが、88歳で亡くなるまで韮山にあった。韮山城はその後も、北条氏の軍事拠点として修築が繰り返された。

東側の多賀火山の先端部に位置する。

本丸跡で説明を受ける北條神社の林




平安時代末期に伊豆に土着した藤原南家の流れをくむ狩野氏(伊豆最大の武士団)が戦国時代に利用した山城。

日没が迫ったので、本廓が見える途中で引き返し周遊道のモミジのグラデーション



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