牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ワサビ田跡

丹那盆地のジオガイドをする中で、[丹那トンネルの工事が始まる前は、盆地には豊富な湧水があり、その湧水でワサビを栽培していた・・・]と説明してる。[トンネル工事が原因の渇水により、ワサビ栽培は継続できなくなり、酪農に転換した・・・]とも。

そのワサビ田がどこにあったのか、自分の目で確認しないと自信を持ってガイドしにくくなった。丹那の古老たちや知り合いに話を聞きながら、少しずつ場所が分かってきたので、今日は午前のジオガイドの前に探索

  • 畑のワサビ田

元造園業の知り合いの裏にワサビ田の跡があるというので確認 熱函道路の搾れ水を水源に小さなワサビ田跡。今では栽培されていない。丹那トンネル工事が始まると渇水の影響が出たそうだ。ワサビ田を流れた水は牧場の池の水源のひとつだったが、トンネル工事で水量が減り、今ではチョロチョロ。他の沢からの水が牧場の池の水源となっている



  • 田代のワサビ田

田代盆地の北端にある農家のワサビ田跡。水量は豊富な沢が近くにあるが、今では栽培していない。

この上にももうひとつのワサビ田跡があるそうだが、見つからなかった


[闇を裂く道]では、下丹那にワサビ田があったとある。[丹那風土記]では、名賀にもあったようだ。軽井沢も含めて、再度調べに行かなければ。
ワサビ栽培から酪農に転換したことはうなずけるが、ワサビ田を牧場にしたわけではないことが分かった。
[丹那風土記]によると、丹那でのワサビ栽培は、天保二年に川口家が、湯ヶ島の重右衛門という人を雇い、名賀にワサビ沢を作り、栽培したのが始まり。明治になって、牧場の水頭で、一反歩ばかりのワサビが栽培されたとある。最盛期は、小田原や東京にワサビを売りに行ったそうだ。

牛歩的写真中心網録”