牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

大場・間宮の石仏

四月並の暖かさに誘われて、取材も兼ねて、近場の石仏の再発見にでかけました。

  • 大場 十王堂の十王像

以前は大場駅近くの日金道の始まりにあった十王堂は、光明寺境内に移されて大事に祀られています

閻魔大王を始めとして、石の十王像が地蔵様の周りに安置されています。左端には奪衣婆も待っています頭には、”王”の印も



怖い閻魔様とは対照的に優しいご住職も写真好きで、ひとしきりカメラの話をしてきました。

  • 広渡寺

東海道随一の大親分 大場の久八の墓所 安政の大地震には義捐金を出して窮民を救い、江川端庵のお台場築場にも貢献した。六地蔵



三十三観音六地蔵



ひょうたん山古墳 平井散策

天城ビジターセンターの赤色立体地図上で、函南町平井に前方後円墳らしきものがあるとの情報を得ました。平井誌や函南町誌で確認すると、ひょうたん山古墳(御堂山古墳)と呼ばれる古墳があるとのこと。前方後円墳との確証はないが、伊豆地方の3つの前方後円墳に数えられていました。

  • ひょうたん山古墳

東側から見たひょうたん山(右の高みが後円、左が前方に相当するが、竹・雑木に覆われて確認は困難)南側からも


山頂の三角点。周りは、笹や雑木で覆われているが、ここが後円の頂点で、この下に族長の墓があるのだろう三角点から離れた所にある石祠(新しいもの)が倒れている


前方側から後円を仰ぎ見るひょうたん山の下にある不動堂(御堂山の名前はこれからだろう)




古墳近くから眺めた田方平野。富士山も望める景勝の地に古墳は立つ。

  • 養徳寺

ひょうたん山の北西に位置する養徳寺の絵図を見せてもらいました。

山門には、白隠さんの揮毫本堂内に掲げる地獄絵図(人が病に倒れて死んでから、白骨になり、墓に埋骨されるまでの絵図)


修復された十六羅漢


石棒(男根)丹那トンネル工事の殉難碑がここにも



伊豆逓信病院敷地内の遺跡

病院の新築工事のために、該当する敷地下に埋もれていた古代の遺跡が発掘調査されています。
過去にも周辺では発掘調査が行われていますが、今回の大規模な発掘調査により、弥生時代から古代に至る人々の生活や集落形成段階が解明されると期待されます。

竪穴式住居跡や掘立式住居に伴う柱穴群が検出されています。平井台地は狩野川の氾濫や水害の影響を受けにくく、何代にもわたり、人々が生活を営み、遺跡が積み重なっています。

中心には、直径18mの周溝があり、弥生時代の円形周溝墓か古墳時代の円墳と考えられています。

[伊豆の薬師如来像]企画展

下田の上原仏教美術館の三十周年記念企画展として展示されている[伊豆の薬師如来像]をガイド仲間で鑑賞してきました。秘仏3躰を含めて、伊豆各地に残る薬師如来像を一堂に集めて展示しています。

近現代に作られた一木造りの木彫仏像が多数展示されています。仏の種類の学習に役立ちます
企画展は撮影禁止。田島先生の懇切な解説で、改めて時代による表現の違いを再確認できました。仏の里美術館の仏像群と同時代の仏像を比較して見ることで、仏像の年代の差が分かってくるそうです。
河津の南禅寺にも立ち寄り、平安時代の仏像群(薬師如来は上原に出張中)にもお会いしてきました。撮影禁止御堂の前に建つ聖観音菩薩の石像

9〜11世紀に作られた仏像群は、古いお堂に安置されていたが、1432年の山津波で、下の仏谷に流された。薬師如来はじめ3躰の仏像はすぐに救われたが、残りの仏像はその後109年間もの間、谷の土中に埋もれていた。1541年にようやく掘り出されたが、虫食いがひどい状態となってしまった。


丹那盆地ウォーキング 下見

丹那盆地で開催するウォーキングの下見に付き合いました。まだまだ知られていないところがありますね。

  • 皇産霊神社

祭神の郄皇産霊(タカミムスビノオオカミ)から、皇産霊神社と名付けられた?

力強い狛犬高根大権現の石祠


畑と滝沢の境界に建つ伊豆型道祖神(左)と双体道祖神(右の小さい像)



  • 牧場の池

明治時代に、近くに川口家の牧場があった。丹那トンネル工事による渇水対策として、池の水(玄岳方面からの湧水)を簡易水道の水源として利用している。


池中央の島には、溶岩で作られた祠があり、中に引き車に乗せられた祠が見えた祠の横には、石像が祀られている


長光寺に着いた時は、すっかり暗くなってしまった



歴史探訪ウォーキング in 函南

仏の里美術館主催の[館長と行く歴史探訪ウォーキング]に参加しました。40人乗りバス満杯の参加者と共に、田代盆地と丹那盆地を巡って歴史とジオを探訪しました。

火雷神社のジオガイドの後に、館長から”田代”の地名の謂れなどを聞く田代 洞天寺の六地蔵


田代 双体道祖神の説明を聞く丹那断層公園のジオ看板前でジオガイド



  • 丹那 長光寺 昭和書碑林

長光寺前住職であり書家の佐野丹丘氏と親交の合った書家・上田桑鳩氏とが構想した現代書の石碑が、長光寺境内に立ち並ぶ


佐野丹丘氏著の[愛][空]と読むらしい


樹木葬で植樹されたモミジの紅葉と十月桜のコラボ薬師観音堂と石仏たち


子供たちの仏画や造形の作品展が本堂に中で、4日まで開かれている純真な子供の目に映った仏様達が大胆に表現されています


現住職も現代書に通ずる愉快な画を書くようだ子供たちによる風神雷神戯画


子供たちはこの形と言葉が好き色とりどりの重ね餅


最後は、畑の双体道祖神(右の小さい方)左は合掌していることからお地蔵さんかも)


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