富士吉田市、富士河口湖町、鳴沢村の教育委員会・生涯学習課で、道祖神に関する資料を頂いた。雨が残る午前中から、一部の道祖神を探した。新資料から、20近くの道祖神の情報が入手できた。あと何回出かけることになるのだろうか?
魔王天神社の北に鳴沢
番所跡の看板が立つ。その背後に、かなり欠損している双体
道祖神が祀られていた。左神は、合掌。
水木草里のT字路近くに、立派な唐破風屋根の付いた石祠型の
道祖神が祀られている。扉額に、”
道祖神”と刻んであるので、文字碑
道祖神になる。ベンガラが少し残る。文化三年。
大田和の大石の上に、文字碑
道祖神が祀られている。大石がご神体らしい。狭い入口は濡れた草ぼうぼうで、踏み倒して近づいて撮影した。
諏訪
八幡神社境内。社殿左奥に、丸石
道祖神や陽石らしいものが他の石造物とは別れて祀られている。
上暮地の白糸町居里に、双体
道祖神(地元では、めおと
道祖神)が祀られている。懸魚がついた唐破風に双体
道祖神が立つ。台石には、ほたんの彫り物。
新倉
浅間町の文字碑
道祖神は、
浅間町会館敷地にある
天満宮の右隣に移されていた。元の敷地の住人がたまたま外にいたので、教えてもらった。
自然石の右下に人工的な切り込みがあり、それを丸彫の猿が支えているような造形が珍しい。
台座にブドウのようなツルが刻まれているということだが、何か刻まれているがよくわからない。
河口湖の西岸の長浜という集落に、
道祖神群があるということで探した。集落内の祭場の手前に立派な石祠型
道祖神が祀られている。
扉面に、”
道祖神”らしい文字が刻まれているので、文字碑
道祖神とする。
背後には、3基の石造物(文字碑
道祖神-2基と、破損した双体
道祖神-1基)と木祠-2基が保存されている。