牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

ジオツアー三島40

静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、長泉から三島にかけての石造物を見ながら、境川の流れを確認してきた。













今は城山神社のある長窪城跡を望む黄瀬川を流下した三島溶岩流が造った牛ヶ淵を泉橋の上から撮る


古黄瀬川の川床に相当する低地普向寺の六地蔵 愛鷹火山の安山岩で造られているのか、彫りがきれいに残る


普向寺境内の石仏群 巡礼供養塔の様式を取っているものが多い庚申塔と常夜塔(こわれた火袋の代わりに木で組んである)


日吉神社境内には、平らな石が3つある。石棺に使われた三島溶岩か?仏名碑(正面に釈迦牟尼仏、右側面に文殊普賢、左側面に観音弥勒と力強く刻んである)


納米里のコンビニの北西隅で見つけた伊豆型道祖神(頭が挿げ替えられている)コンビニの南裏にある如意輪観音の台座には、高遠から来た石工の名が刻んである


芦湖水神社前の石造物神社前のY字路で甲州街道は、大岡方面と三島方面に分かれる




芦ノ湖水神社 箱根用水(深良用水とも)の建設な尽力した元締め達を水仁として祀る神社境内に箱根用水の分流が流れる


集落の細い道に祀られている二基の石造物。左像は伊豆型道祖神か? 右像は馬頭観音のようだ福昌寺門前には多くの石仏があるが、これは聖観音菩薩像


この巡礼供養塔は、なんと西国・秩父・坂東に加えて四国霊場まででかけた記念珍しい七観音


摩滅しているが、笏持ちの単体・立像・浮彫の道祖神のようだ暗渠から顔を出した深良用水の本流

過去には、境川が浸食した崖かつては大場川は青木橋のあたりで、境川と大場川に分流していたが、隆起と下刻で大場川が流路を争奪した。時期としては、1800〜1500年前と推測されている


青木橋から、境川の流路の跡を探す真ん中の低地が境川が侵食した跡


住宅地の間の低地に境川が流れていた途中から暗渠で流れている境川は、二本の樹の間の鉄扉の下を流れている


東レ近くの題目公園内に建てられた練兵場跡を顕彰するひげ題目塔三島駅北の境川の暗渠の上を歩く


新幹線近くの小浜山刑場跡には、南無阿弥陀仏の供養碑が建つ。木喰さんの石碑もある刑場跡の背後で境川は顔を出す


三島駅西の水門は東レの冷却水を楽寿園(源兵衛川)に送水する


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