牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

文学散歩【獣の戯れ】

三島由紀夫の【獣の戯れ】の舞台となった伊呂村が安良里であることが分かり、聖地巡礼ではないが、三島由紀夫が取材しただろうと思われる場所を辿ってみた。

  • 獣の戯れの舞台

”宇久須を出た船は、岸の土がだんだんと黄色味を帯び、そこに点々と碧松をあしらって、すべてが黄金崎の風景の予兆をなしているあたりにさしかかった。” (宮ん崎のことでは?)”船首の左に、黄金崎の、大赦いろの裸の断崖が見え始め、沖天の日光が断崖の真上からなだれ落ち、こまかい起伏は光にことごとくまぶされて、平滑な一枚の黄金の板のように見える”


黄金崎の文学碑”左手に伊呂湾口の燈台が見えだした”(網屋崎から伸びる細い砂嘴の先端。砂嘴は30cm前後の円礫)


”優子と幸二が再会して、サンドイッチを食べた”海豚供養の碑のあるあたりで”供養碑を二つ見つけたが、”入り江の一等奥”ということから、こちらでは?(明治15年に海豚の大群が捕獲されて、漁村は一時的に潤った。漁民は、海豚を供養して滅罪とした)


三人がピクニックに出かけた”裏山の大滝”(神洞の滝:今回は時間が無かったので、五年前の写真)

優子に紹介された”奏泉寺の住職の口から伊呂村の地誌を学んだ”(奏泉寺という寺は無いが、大聖寺龍泉寺のふたつの寺からの造語では?)波切不動尊のある大聖寺のほうが、滝の途中にあるということからもっともらしい。港に近い、龍泉寺


喜美らと伝馬船で乗り込んだ、浦安神社の岸壁の石段(網屋崎までは、きついアップダウンの西伊豆遊歩道か、船でしか行けない。戻りは、ウバメガシの断崖にかすかな踏み跡を見つけてショートカットできた)”浦安の森は岬の鼻に在って、燈台を突端に置く防波堤の内側に抱かれている。森の東辺は湾内のしずかな入り江に面し、西際はただちに防波堤を隔てて外洋の荒磯につながっている。密林の只中には、鎌倉時代初期の松竹飛雀鏡の神鏡を祀る社があった”と記される浦守神社


松吉たちが伝馬船で去った後に、喜美と幸二が一夜を過ごしたのは、神社近くか?小説には出てこないが、網小屋の近くか?(網小屋はいるか漁に使われる網を保管したもので、昭和61年に復元された)


”いたましい事件の数日前に三人で出かけた船具倉庫の岸壁の上”で最後の写真を撮った。(造船所のあたりと思われる)



文学散歩のつもりが、どうしてもジオにも目が行ってしまう。

小さな砂浜に残るグリーンタフの露頭入り江北側の岩壁(先に行けそうなので、次回、辿ってみよう)


網屋崎全景造船所手前の凝灰岩の露頭


燈台側からの北の岸壁弁天島 後ろの砂浜にグリーンタフ、背後の山の中腹は水中土石流の露頭か?


駄菓子屋の軒先に吊るされている魚のはく製の風鈴安政津波で海に流された地蔵尊の二代目?



牛歩的写真中心網録”