牛歩的写真中心網録”

伊豆半島ジオパークと道祖神を中心にアウトドア活動を、写真で記録しています

桑原 石造物とジオ巡り 下見

以前から計画しているジオツアーもしくは、石造物巡りの下見を、寒い中敢行した。曇り空のせいか、露出が落ち着いて、いい色が出ている。(歩行時間 2時間半で、累積標高差が300mを越え、途中2か所の急坂がきつい)

美術館での説明と鑑賞の後、熊野神社前の石造物群から石造物巡りはスタートする。左から三猿のある更新供養塔、青面金剛明王庚申塔、西国・秩父・坂東の巡礼供養塔(享保十三年)、伊豆型の道祖神熊野神社右手に建立された桑里四君の顕彰碑
同じく境内の淡島さんの石碑廃平清寺跡(阿弥陀堂)と考えられる平地に建立された唯念名号塔には南無阿弥陀仏の六字名号が刻まれる
廃平清寺跡(阿弥陀堂跡とも)の平地次は新光寺跡と考えられるハナモモの畑
畑の中の奇妙な形のかんらん石が、新光寺の礎石と考えられている反対から見ると、柱状節理のようだ。この地区の火山では、柱状節理は産出しない。どこから持ってきたのか?
万年杉の観音堂奥には湯河原火山の溶岩流の露頭溶岩流の上に据えられた万年杉不動
合併橋の袂に建立された堅牢地神の石碑薬師堂手前の石造物群は神仏分離に伴う廃仏毀釈で首が切られている
三十三観音霊場の一番 如意輪観音遊歩道の山頂に祀られている善光寺如来
手石の弥陀窟の阿弥陀三尊像小学生の帰宅を促す掛け時計
途中に出てくるローム層の露頭(テフラが見られなく、小さな礫も混じっているので、ローム層の二次堆積物か?)山神社の石碑(山ノ神か?)
神原の七観音道しるべ 右ひがね道/左やま道
年代が古そうな馬頭観音七観音
ヒューマンヒルズの貯水池の壁を彩る池田満寿夫の壁画冷川公民館前の弘法大師像は左手に金剛杵持つ。右の持物は不鮮明
冷川不動尊の境内に建立された不動明王の石碑(丹那トンネル工事に従事した伊沢組が建立)赤不動が納められている祠(正・五・九月の28日に御開帳)
冷川の不動滝(今年は凍らない)降魔の剣
某邸の石垣(丹那トンネルの支保工に使われたズリ)箱根火山の軽石火砕流の露頭に掘られた洞穴は塞がれているようだ
日陰の八巻橋袂の双体道祖神と地神尊


根府川通 再訪

新聞に掲載された根府川通の記事を見て、根府川通の軽井沢宿から軽井沢峠まで再訪した。一人で探索するつもりでいたが、たまたま案内人の同行も得て、分かりにくい峠道を踏査した。

三島と熱海の間の宿にあたる軽井沢の宿通り。根府川通(旧日金道)は、左カーブを曲がらないで、直進して細い古道を登る。熱海街道が左に折れるカーブ手前の石塀の中に双体道祖神が祀られる
根府川通りへの入口に立つ石造物東海道400年祭の時に建立された道標
弦巻山直下あたりで車道にでくわす駒形堂跡の杉
駒形堂があった平地には、礎石が草に覆われていた古道が左に曲がる地点に、穴が開いている。穴の暗い部分を明るくしてみたが、よくわからない。人工の穴で、10mほどはありそう。危険なので、枯れ木を置いてきた。何のために掘ったのだろう?
途中の尾根の杉林は踏み跡も無く、迷いやすい。黄テープを巻いてきたが、見にくいかも。軽井沢峠手前の右側に建立された石碑には、地蔵菩薩坐像が線刻されていいる。地蔵菩薩の下部には、[ERECTED BY MACHIDA TOKYO 1919]のローマ字が刻まれている
軽井沢峠手前の石仏(欠けた頭は挿げ替えられている)石仏の背後には茶屋があったそうだ。笹薮の中に、枯れ井戸の場所を突き止めた
枯れ井戸は鉄板で覆われている鉄板を持ちあげて内部を見る。暗い部分を明るくしたが、深くはなく落っこちた山土が覗く
軽井沢峠の地蔵さん。背後の地蔵さんの光背には、享保三年と”右あたみ道、左ひがね道”の文字が刻まれている
正岡子規も越えた峠道の途中は、箱根笹で通れなくなっている。


建穂観音堂 十一面観音立像 ご開帳

静岡の建穂観音堂秘仏である十一面千手観音が、一年ぶりの御開帳ということで、たまたま都合があったので、美術館ガイドが終了してから、出かけてみた。午前中からご開帳されていたが、何時まで拝観できるか不安だった。厨子に仕舞われるギリギリのタイミングに間に合ったので、しばし拝観させてもらい、写真も撮らせてもらった。ご開帳のお世話をしてくれた地区の皆さん、ありがとうございました。

須弥壇のガラス戸が外されているので、見やすい。一脚を使わせてもらい、撮影できた秘仏と前立、二つの十一面観音


念のため、秘仏にピントを合わせる(天正年間の作らしい。秘仏の一つの手が欠けて、左下に置いてある。蓮華座は後補)こちらは前立にピント(前立の方が古く見える)


こちらの不動明王の片割れが、松崎の吉田寺(上原?)に貰われていったようだ)阿弥陀如来坐像と宝冠阿弥陀如来坐像(首は後補とみられている)



静岡の仏像拝観

仏の里美術館のガイド有志で、静岡の仏像拝観ツアーにでかけた。最初に静岡市文化財資料館(浅間神社境内)で開催されている建穂寺の仏像を鑑賞。建穂寺・観音堂と坂ノ上・薬師堂に立ち寄る。

近くにあった建穂寺という行基再興といわれる古くて大きな寺が、明治3年の火事で焼失。救い出されていた諸像を安置するために、昭和50年に、地区の人々が建てた観音堂に62体もの仏像が守られている。(桑原の薬師堂と似たような境遇)

観音堂全景(撮影している余裕が無かったので、前回訪問時の写真を掲載)前立の十一面千手観音立像(秘仏は8月5日にご開帳される。前立は平安時代とみられるが、秘仏桃山時代と新しい。)



  • 坂ノ上・薬師堂

藁科川中流にある坂ノ上地区の薬師堂が建てられ、近くの山の上にあったお堂から薬師如来を移し、別のお堂に祀られていた仏像15体も併せて祀る。薬師如来坐像と合わせて16体すべてが静岡県文化財に指定された。


特別に許可を得て、内陣の諸像を撮影させていただいた。薬師如来に眼病の平癒を祈り、歳の数の目が描かれたものが奉納されている


薬師如来平安時代か?他の仏像(如来・菩薩・天部・神像と多様)は10世紀の造立とみられている。ひなびてはいるが、いい表情をしている



伊豆の前方後円墳

平井のひょうたん山古墳(不動堂古墳)の発掘調査の見学会に合わせて、美術館の顧問先生が発掘調査に携わった向山古墳群の研修を実施。美術館ガイドの有志が参加してくれた。

  • 向山古墳群

平成16年に偶然発見された16号墳の前方後円墳。国の調査が待たれる。14号墳から古墳群を眺める。この地域を治めていた首長達の墓を、領有する田畑が見える高台(田畑からも見えるように高く)の尾根筋に造った古墳群。14号墳の円墳頂部の中心に、木棺で一人を埋葬した。周囲には、副葬品もあったそうだ


東の外れにある3号墳〜6号墳。3号墳は、長さ21mの前方後円墳(元々は、円墳を作っていたが、途中で大王の象徴である前方後円墳を造る許可を大和朝廷から得たと考えられる)3号墳の頂部には、埋葬した穴の跡の写真が、実物大の陶板に表示されている。長い太刀が副葬されていた。




B地区には、7号墳から11号墳が残されているが、最小限の調査に留めて、そのままで保存されている。
伊豆では、長岡の小坂に駒形古墳という前方後円墳古墳時代後期)があるそうだ。

  • ひょうたん山古墳

続いて養徳寺墓地の裏山(ひょうたん山)の発掘調査現場で、日本の古墳研究の権威とされる先生から、発掘状況の説明を受けた。現在の所、断定できないが、全長90mほどの前方後円墳らしい。確認できれば、伊豆では最大の前方後円墳の発見となる。後円部の頂部には、後の時代の経塚らしいものが盛り土の上に作られている。この下辺りに、埋葬されているのだろう。後円部から、前方部を見下ろす。後円部は、畑の開墾でだいぶ削られて変形しているようだが、前方部はほぼそのままで保存されている。(前方部は後円部に比べて低く、こちらで祭事を行った?)


今回の発掘では、古墳の大きさを推定するために、古墳の周囲6箇所のトレンチを掘り、地山を見つけて、その傾斜から原形を推測している段階。トレンチの中からは、土器などの副葬品は見つかっていない。敷き詰められていたと思われる石ころが見つかったが、位置は動いているようだ出土した葺石


トレンチから、47kaの三島パミスが見つかった。古墳以前の堆積なので地山の手がかりとなる。三島パミスの地山




古墳中心の玄室の発掘は、次回以降となる見込み。予算がついて、重要な発見がされることが望まれる。

箱根の仏像拝観ツアー

仏の里美術館のガイドを募って、16人で箱根の仏像を拝観してきました。折から、地震や噴火も危惧されましたが、規制区域より(少し)離れているし、まだ大丈夫という判断で予定通り決行。途中、地震も感じたし、警戒レベルが3に引き上げられたということで心配でしたが、向学心が勝って、無事に全て巡ることが出来て何よりでした。

細く急傾斜の道を分け入って登りつく阿弥陀寺アジサイの似合う、とても静かな山寺です珍しいアジサイもあります


ご住職が奏でる琵琶で平家物語の壇ノ浦の語りと、皇女和宮の創作に聞き惚れました。御本尊は、阿弥陀三尊(大きい蓮華から江戸時代ということが分かる)和宮の念持仏である黒阿弥陀
観客が多くて、興に乗って足がしびれるほどたくさん語っていただきました


  • 興福院

元箱根の大鳥居脇にある賽の河原で、S先生の名解説にうなずく(お地蔵さんの赤い涎掛け・帽子の深い意味に納得)つづいて、興福院へ。可憐な花が出迎え


御本尊は、釈迦如来普賢菩薩(向かって左)・文殊菩薩(右)の両脇侍(両菩薩はそっぽを向いているように見える)弘法堂の入り口には、閻魔大王が目を光らせる


弘法堂の本尊(?)は独鈷杵を持つ弘法大師像。こちらの仏像は元々箱根権現に神仏習合で祀られていたが、廃仏毀釈の難を避けるために地域の方々が隠した仏像達修復された普賢菩薩。優しい顔の平安仏


右顔面が欠けた普賢菩薩の仏頭(生え際の髪と宝髷が美しい)定印を結ぶ阿弥陀如来


千手千眼観音菩薩(十一面は取れてしまい別に保管されている)あまり目にすることが無い愛染明王



今日は箱根神社へのお参りではなく、宝物館で万巻上人に逢うのが目的(顔面のひび割れが痛々しい)箱根山縁起幷徐(絵巻の開かれた箇所には、桑原のことが描かれている箇所があるかは分からない)


最後は、万巻上人の奥津城(墓所)に参詣。平安時代の古い形の塔で、上部の9輪の双輪が重要。


慶派の仏像を訪ねる旅

かんなみ仏の里美術館の3周年記念事業として、[慶派の仏像を訪ねる旅]を募集したところ、多数の応募があり、バス1台を貸し切って、先生方とでかけてきました。大雨にも関わらず、遠くは大阪などからかけつけた人たちも含めて、元気に長時間、楽しんできました。(カメラを忘れたが、スマホでも充分撮れました)

河津の涅槃堂では、斎藤先生の面白い講義に、バラ園の後藤さんも感心し、講演の依頼も出たほど。米寿の先生、益々お元気で一緒に色々な所に出かけましょう杉鉾別命神社(河津来宮神社)のご神木の大クスノキ。水たまりの境内で、ご対面。


河津交流会館で昼食後は、手石の正善寺に。三十三観音の石仏が静かに迎えます本日のテーマは、[慶派の仏像]で、その第一弾が、正善寺の大日如来像。不思議な印相はうちほこ印ということが分かった、密教僧が修行の時にする印相で、大日如来がする印相ではないとのこと。快慶に通ずる善慶が造ったと考えられる。


蓮台寺天神社の大日如来(重文) こちらは金剛界の智拳印を結ぶ正統派。髷が高く、鎌倉期の特徴が現れる。慶派の孫弟子に相当する仏師の作と考えられる

最後に、工事休館する前に上原仏教美術館に立ち寄り、田島先生の説明を受けてきました。普段は見れない吉田寺の阿弥陀三尊・毘沙門天も拝観できて、ラッキーでした。こちらも慶派だが、快慶系のきれいなお顔などが特徴
帰りのバスの中で、伊豆半島ジオパークの宣伝と伊豆の七不思議についてのガイドをする時間もいただき、ジオパークについての興味も喚起できました。

牛歩的写真中心網録”